支部長雑感

吉見先生の三等人生

2018年05月07日

吉見信一(よしみのぶかず)という先生がおられました。
もちろんお会いしたことはありませんが、私の非常に尊敬する先生であります。書籍、記事等で吉見先生のことを知りました。
戦前は海軍軍人として少将まで昇進なされ、戦後は医師として生涯を全うされた方です。

少し、吉見先生のご生涯をたどってみたいと思います。
吉見先生は明治27年(1894年)5月22日、広島県江田島でお生まれになりました。
お父上の乾海氏も海軍将校でありました。
東京で小学校に通っていた吉見先生は、その後、父乾海氏が海軍兵学校教頭に任ぜられたのを機に、一緒に広島に行かれました。
吉見先生は、父の影響もあり、海軍兵学校を目指すようになりました。
明治45年、海軍兵学校に合格、そして入校されました。
海軍兵学校時代に、第一次世界大戦が勃発。
大正8年、結婚。
昭和16年12月、太平洋戦争勃発。

昭和18年7月、49歳。司令としてマーシャル諸島ウオッゼ島に赴任。
ここから壮絶な戦いが、吉見氏に降りかかります。
ウオッゼ島指揮官を命ぜられた時、死を覚悟されたそうです。島の兵力は各種部隊合わせて3800名ほどで、この者たちの生命を吉見司令が背負うことになったのです。
ウオッゼ島は、横3キロ、縦700メートルの細長い南北に伸びた形の小さい島です。サンゴ礁の島なので、農作物は出来づらく、食料は近海の魚などでした。

この時期、日本軍はすでにかなり劣勢に追い込まれていました。
アメリカ軍は、このマーシャル諸島攻略を重視しており、ものすごい攻撃をしかけてきました。
島の防御力を重視した吉見司令は、頑丈な対戦車壕と防壁を築かせました。その結果、アメリカ軍はウオッゼ島の上陸作戦を避け、空爆による破壊作戦に変更しました。
吉見司令の慧眼が功を奏したのですが、しかし、逆にここからウオッゼ島における生き地獄が始まったのです。
アメリカ軍は、わずかばかりの島の畑や食料調達のための小舟などを執拗に攻撃し続けたのです。結果、3800名以上の兵士は、アメリカ軍の攻撃だけでなく、飢餓とも戦わなくてはならなくなったのです。

この島で起こった事実として、飢えによる凄惨な出来事や事件が正確に記録されていますが、これは省略いたします。
しかし、飢えというのはこれほどまでに人を狂わすのか、ということを記事を通じて少なからず理解することができました。

毎日毎日、餓死者がでていくことに、吉見司令は苦悩しました。実際、ご自身も責任をとり自決することも考えられたそうです。
そして、昭和20年8月終戦。
ウオッゼ島で生き残った将兵は、1100名足らず。約2000数百名は、敵の攻撃よりも、餓死によりその生命を奪われました。

9月、吉見司令は、現地で降伏調印をし、そして生き残った兵士らと日本本土へ帰還しました。帰還の前にして吉見司令は、ウオッゼ島に、亡くなった兵士らへの慰霊碑を建てられたそうです。

日本へ帰ってきた吉見氏は考えました。
この先、どのようにして生きていけばいいのか。
自らの指揮統率の下、多くの兵士が死んでいった、その事を考えないわけにはいきませんでした。
彼らの供養になる道はなにか。
鎮魂の道ははたして。
深慮の末、吉見氏は、医師になる道を選びました。

私は、ウオッゼ島で指揮をとった吉見中将ではなく、51歳の悩める一人の人間としての吉見氏が新たな道を志を持ってチャレンジしていく姿に、尊敬を覚えます。

そして猛勉強の末、慶応大学医学部に入学しました。
その後、無事に医師となり、人情味あふれる街のお医者さんとして、そして船医として人生を全うされました。
エピソードがあります。
診療した人の家庭が貧しくて医療費もままならなかった時には、100円をもらったそうです。
いつしか「100円先生」と呼ばれるようになったそうです。

亡くなられたのは昭和63年5月、93歳11ヶ月の時でした。
死ぬまで医師として、そのご生涯を全うされたのです。

今回、私は何が言いたかったのかというと、人間、何歳になっても何にでもなれる、どんなことにもチャレンジできるということです。
「もう〇〇歳だからもうダメだな」とか「身体がいうことを利かなくなったのでもう止める」とか、自分に限界を設けることがいかに残念なことか。

私のような実力もないくせに諦めの悪い人間が、それでも、まともな人間になれるように、そして、少しでも社会の役に立つことができるように、そのための努力をしたい。
吉見先生の生き方を見て、そのような気持ちになりました。

吉見先生は、ご生前にメディアからインタビューされた時、こう答えられたそうです。
「私の人生は、三等人生でした」と。
何歳になっても、そして、最期を迎える時になっても努力を続けることをやめない方の人生が、なんで三等人生でありましょうか。
はるか一等人生であると思います。

押忍

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