支部長雑感

自力、他力

2018年07月16日

山内文孝前支部長(以下、支部長とします)が、以前道場生から依頼されて、結婚式の引出物として作られた焼き物の、その箱書きに書かれていたお言葉です。


「薪で焼いています」

自分の力が二割で、窯の神様が八割で作品が出来ています。

良い物か、良くない物か、良く分からない物も、あります。

窯の中で色んな物が出来ます。

窯の神様に良い焼物が生まれますようにと、祈って焚いています。

万次郎窯 山内文孝


……
いつも支部長がおっしゃっておられました。
「努力して、努力して、精一杯やれるところまでやる。
しかし、人間の力などたかが知れている。
限界まで行ったら、やれるところまでやりきったら、あるいは、もうこれ以上は出来ませんというところまできてしまったら、あとは阿弥陀如来様におまかせするんだ。
それが他力本願というものだ。
人間の力などたかが知れている。
しかし、努力もしないで神様や仏様にお頼みするなんて、誰が聞いてくださるものか」と。


私は、芦原空手に入門したその少し後くらいから、禅も始めました。
禅においては自力の修行こそが全てだと信じていました。
なので、「他力本願」の意味がよくわかりませんでした。
しかし、支部長のこのお言葉を繰り返し聞いているうちに、「自力」も「他力」も、努力する上においては全くの同義語であるということがわかったような気がします。

支部長は、こと空手においては、先代館長のご指導を守り、努力をひたすら続けておられました。
おそらく、空手の実力、技量という点においては相当な自信を持っておられたと思います。
しかし、今回お話したような心構えをいつも胸に置いておられましたので、常に謙虚で、自慢めいたことを話されたことはありませんでした。

そんな支部長も今月七回忌をお迎えになりました。
本当に早いものです。

私も信じます。
「人間の力などたかが知れている」
謙虚に努力を続けたいと思います。

押忍