支部長雑感

法隆寺を作ったのはだれ?

2018年12月27日

子供の頃、友達となぞなぞをしました。
「法隆寺を作ったのはだーれだ?」
「聖徳太子ーィ!」
「ブッブーッ!答えは大工さん!」
「ちぇーッ」
どうなのでしょう?
法隆寺を作ったのは誰だといえばいいのでしょうか。
人は、誰が何をしたのか、それを正直に評価できるようになれるでしょうか。


私が30代の頃です。
ある時、私が勤めている会社で、社のロゴデザインを変える話がありました。商号が古い地名を使ったものでしたので、格好が良いデザインを考えることがなかなか出来ずにいたのです。
私はロゴ制作を任されました。
元来、遊び心ある仕事が好きな私は、張り切っていろいろ資料を漁ったりしてデザインを考えました。そして、時間をかけた末、ようやく自身で納得できるものが思い浮かび、デザイン会社の担当者と打ち合わせに入りました。
「このようなデザインでロゴを作ってください」と、担当の方に手書きのロゴ案を渡し、制作を依頼しました。
デザイン会社が行う作業としては、既にある規格(文字コード国際規格)の字体を使い、私の思い描く文字配列や大きさを形にするのが主なものでした。
ほどなく、デザイン会社が仕上げたロゴマークができあがりました。思い描いたとおりのものができました。

その後、自社でそのロゴマークを使った営業等が始まり、ある程度、関係各所に周知され始めました。
ある日、自社の応接室で、他社社員の方との打ち合わせ中に、その方から「御社のロゴマーク、格好良いですね!」と言われました。
私は、内心とても嬉しくなりました。なにせ一生懸命考えて作ったマークだったからです。
ところが、同席していた当社の役員が、すぐさま横から「これは〇〇というデザイン会社が考えた作品です」と説明したのです。
私は、心の中では「自分が考えたデザインなのに」と思い、すこし悔しい気持ちになりました。
該役員にとっては、自分の関係しないところで作られた会社のロゴマークに対して良い評判が立つのは気分の良いものではなかったのかもしれません。
ロゴマークに対して、このたぐいの話が何度かありました。

このロゴマークは、私が作ったのでしょうか、それともデザイン会社が作ったのでしょうか。
「法隆寺を作ったのは大工さん?」という冒頭の話を思い出しました。


次も、30代の頃のお話。
当社は、地方テレビ局にコマーシャルを流していました。
私は会社で広報、なかでもテレビコマーシャルの制作、テレビ局選定等も担当していました。
私は、頑張って出来の良いCM、経済効果の高いCM、更には思わずクスッと笑ってしまうようなCMを目指していろいろアイデアを絞りました。その後、おぼろげにアイデアが浮かびまして、そのおぼろげな案を、広告代理店の担当者や映像制作監督に伝えました。

CM制作はなかなか大変な作業です。
制作には、広告代理店や映像制作会社の存在が欠かせません。
ぼやっとしたアイデアを示してから、それからは専門家の仕事でした。思い描いたものが本当に形になるのか少し不安でした。
しばらくして、絵コンテが出来上がり、見せてもらいました。
「こんなものかな?」といった感想を持ちました。考えたアイデアを絵にしてもらったものの、それほど良いイメージは湧きませんでした。
ところが、実際に映像に仕上がった作品を見て、びっくり!
さすが専門家の集まりです。本当にとてもおもしろい作品になっていました。コマーシャルの15秒、30秒の世界がこれほど濃い内容のものになるとは・・・。

結構長い期間、熊本地方でこのCMを流しました。
かなり良い評価をいただきました。
このCMの評判の一例ですが、全国番組によく出ておられた替え歌歌手のK . T氏が、熊本でコンサートを開いた際、前入りして宿泊したホテルの部屋でテレビを見ていて、当社のCMが目に止まったそうです。
そして、翌日のコンサートで、会場に来られていたお客様に、歌の合い間に「熊本の〇〇という会社のコマーシャルは面白いですねえ」と話されたそうです。
たまたまこのコンサートに、このCMを手がけた制作会社の社員の方が見に来られていてK . T氏のこの話を聞き、大喜びで会社にこの話を持ち帰ったとのことでした。
さらに日が経ちまして、このCMもテレビで流れなくなって久しい頃、この映像制作会社の監督が、いろいろな企業にCM制作の営業に出向いた際、企業側から監督の過去の作品を聞かれると、必ずこの作品を挙げたそうです。すると、すぐに「お~、あのコマーシャルですか!」と、多くの企業からすぐに依頼OKの返事をいただけたとのことでした。

昔話が多くなり申し訳ありません。

たずさわった仕事や作品等の評価が上がれば、自らを誇りたくなるのは人情です。が、いくら私がCM制作を依頼した担当者として、立場上「私がCMを作りました」と言えたとしても、それはだめです。
結果的に、会社の存在を世に(熊本地方だけですが)知らしめることができたとしても、それは真に自らが作ったものではありませんので。

繰り返しになりますが、人は自らを誇りたいものです。
しかし、人として努力して、学んで、修行して、そしてその成果として、人はどうあるべきかを身につけることにより「謙虚さ」を体得します。すると、自身の欲得が出てしまいそうなその瞬間、瞬間に、的確な評価や判断、言動ができるようになると思います。
気がつくと、今回のお話の中にチラチラと自慢話が交じっているのは、私にまだまだ謙虚さが足りない証拠ですね。


最後になぞなぞです。
「法隆寺を作ったのはだーれだ?」

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