支部長雑感

はるかなる大河の向こう側へ

2020年02月08日

前回の続きです。

サバキを仕掛けるタイミングとして、「相手の技の伸び切り」の他に、「技の起こりを狙う」というのがあると思います。

「技の起こりを狙う」ことは、剣道の世界ではよく云われるものですが、もちろん空手にも妥当します。
例えば、有名な先代館長のストッピングなどはその代表的なものでしょう。相手の動きの起こりを的確に捉えた先代館長のストッピングは凄まじく、相手の膝を粉砕し、はたまた身体を数メートルも吹っ飛ばしてしまうほどの威力がありました。

前回、相手の突き蹴りが伸び切った時速0キロメートルのところを捌くと書きましたが、相手が動き始めるその刹那もほぼ時速0キロメートルであり、サバキの狙い目となります。

「技の起こりをおさえる」方法としては、相手の動きを読むこと、そして、技術としてはストッピングやカッティングなどの技術を普段から修得しておくことが必要だと思います。
しかし、それだけではサバキにはつながらないと思います。自身の初動のスピードを上げていかねばならないと思います。動き始めのスイッチを入れた途端、スーパーカーのごとくいきなり最高速に到達するような、いいえ、スイッチを入れた途端に大爆発する爆弾のようなスピードを身に着けないといけないと考えます。
それには、芦原空手の基本稽古が欠かせません。そして、その基本の習得により、十分に「身体のこなれ」を身につけることが肝要です。それが、刹那に動ける身体や感覚につながると思います。


読んでいただいている方の中には、従来の空手のイメージと違うなと思われる方もおられると思います。
その通りです。
芦原空手は単に突いたり蹴ったりする空手とは一線を画するものであります。筋力や体格差、生来の気性などで戦う従来の空手と違い、純粋に技術で戦うことができる空手だと思っております。

前回や今回でお話したようなサバキの技術を完全に自家薬籠中の物にしたあかつきには、その技術たるや、例えるならば、はるかなる大河の岸辺に立って対岸の人たちを眺めるというような悠然としたものであり、逆から見ると、決して渡ることのできない大河の向こう側に泰然自若とした武人が立っているのを只ただ見つめている光景とでも言えるものではないでしょうか。
芦原空手と従来の空手には、それだけの技術の差が歴然と存在すると信じております。

いろいろと偉そうに書きましたが、芦原空手を通じて、技術で戦える空手家になりたいと切に願っております。

押忍