支部長雑感

「とりあえず」の行動、そして心

2018年10月13日

繰り返しになりますが、芦原会館は、稽古におけるケガ防止等の安全には細心の注意を払っております。

さて、1987年9月後半の日曜日、入門してちょうど2ヶ月め、九州北地区の昇級昇段審査がありました。山内文孝前支部長(以下、支部長とします)の許可をいただき、これが私にとって初めての審査となりました。
審査の結果、思いがけず6級をいただき、とても嬉しかったです。
元来お調子者の私は、次の稽古日から黄色帯を締めて、とても張り切って稽古にのぞみました。火曜、木曜と稽古をこなし、土曜日は組手の日でありました。
勇んで組手にのぞみました。が、好事魔多しで、昇級後一発目の組手の日に、あろうことか、左足親指を痛めてしまいました。
支部長も、私の組手を見ておられました。足をひきずり、靴をようやく履いて帰路につきました。

翌週月曜に病院に行くと、骨折とのことでした。左足の甲から指にかけぐるりとギブスを巻きました。
以前、この「雑感」に書きました一年間無欠席を貫こうと決心した矢先に、このざまです。情けないやら。
やれやれ、私はなにをやるにしても、いっつもこんな調子です。

そして、稽古日の火曜になりました。
ギブスを巻いた足では稽古できませんよね。自分の心の何処かに、稽古を休む理由ができて、そして一年間の皆勤目標が途絶えてしまうことに納得するものがありました。安易な気持ちにもなれました。

しかし、骨折の報告を支部長にしようと道場に行くことにしました。
自宅を出る前、部屋の隅に畳んである空手着がふと目に入りました。
「とりあえず、道着は持っていくかぁ」
と思い、バックに入れて出掛けました。

道場に着きました。
まだ支部長は来られていませんでした。
他の道場性が、私の足のギブスを見てザワザワと話しかけてきました。
その後、みんなは着替えを終えてウォーミングアップを始めました。
手持ち無沙汰な私は、
「とりあえず、着替えておこうかぁ」
稽古するつもりはありませんでしたが着替えました。

稽古開始時間になりました。まだ支部長は来られていません。
先輩、同輩の方々が整列しました。
私も道場の後ろの方に突っ立ったままではいけません。
「とりあえず、整列だけはしようかぁ」
と思い並んで座りました。

黙想、礼、稽古初めます!の号令が響き、道場生は一斉に帯順に並び始めました。
(心の中:どうしようー、しかたねえ)
「とりあえず、やれるところまでやるかぁ!」
私も稽古の列に加わりました。

・・・結局、稽古は最後までやることになりました。ギブスをしていても、やれる稽古はいくつもありました。
途中、支部長が来られ、私の足を見られて「やっぱり、折れてたか」と普通の顔で話されました。支部長にとっては、骨折などなんでもない普通の出来事なんですね(笑)。

その後も、稽古は休むこともなく、次の審査まで皆勤を続けました。できる稽古も多くなりました。なによりギブスが外れた後に全くのブランクを感じずに済んだのは稽古を続けたおかげでした。技術的にも向上していることを感じることができました。

そして、その翌年3月の昇級審査で4級になることができました。再び飛び級をいただくことができたのです。骨折、そして足のギブスにかこつけて稽古を休んでいたら、この結果は絶対にありえませんでした。


……
ここから「とりあえず」本題です。
この一連の「とりあえず」の行動は、私に有意義な教訓を与えてくれました。大げさに言わせてもらえば、人生の難しさに立ち向かうための方程式とでもいいましょうか。

すなわち、
① 困難が目の前にあらわれても、苦悩の真ん中に立たされても、苦痛に顔をゆがめられても、
その場にとどまることなく、「とりあえず」何かしらの行動をおこすこと。

② 耐えられない苦しみを味わうことになった時、絶望とはこんなものかと思い知った時、世の中が嫌になった時には、
その場所にとどまることなく、「とりあえず」逃げる、サボる、とことん怠けること。

① と②の差は、それぞれの人にとっての問題の程度の差です。
矛盾していないと思います。

もちろん、このようなマニュアルで、人の悩み等が解消されることにはならないかもしれません。しかし、①、②のような事態のその渦中にとどまり続けることが決して最良の選択でないことだけは間違いないところだと思います。

とりあえず、現在私が思っている「心」に対する考え方であります。

押忍