2026年09月28日
幼少期から青年期まで、とにかく父は怖い存在でありました。
なにしろ顔が怖い。そして、無口。
口より先に手が出るような人でありました。
とにかく、遠ざけたい存在でした。
成人して、芦原会館に入門してからは、山内文孝前支部長(以下「支部長」とします。)がその怖い存在にとって代わりました。
もちろん、先代館長も怖い存在ではありましたが、普段接する機会が少ないこともあり、怖いと同時に好んで近くに接していたいという気持ちも強かったです。
なので、私のこれまでの人生からすると、「支部長=怖い」期間が一番長いものだったといえると思います。
支部長は、とても寡黙で静かな方でしたが、こと武道や哲学の分野になると、それはもう鬼となるほどの気迫をお持ちの方でした。
ただ、ご自身の修行を第一義とされていた方でしたので、われわれ道場生に対しての指導や教えといったものは、自らの稽古に比べれば何ということもないレベルのものだったと思われます。
しかし、私にとってみれば、そのご指導はとてもハードルの高いものでした。
少し例えを挙げてみますと。
・道場稽古における技の習得に関して、そのための本数には相当なものを課されました。組手の分量においても然り。
・たまたま一緒に外出した際、どこに行っても時間が空いていたならば、その場所は野天の道場と化し、稽古が始まります。
・支部長から哲学のお話を伺っている時、目の前に怖い存在がおられることによる、一瞬も緊張が解くことができない苦痛といったら。
・道場において、もちろん普段の日常生活でも、武道家としての心構えを崩すことなどもってのほかと戒められていました。
・先代館長の前で、自身の端座した足を崩すことなどあり得ないことでした。その正座が2時間、3時間を過ぎることもざらでした。これを支部長自ら実践されていましたので、当然ながら私もそれに付き従い正座を続けました(2019年7月11日「認識と認容」参照)。
・支部長の最後の10年間、毎月1回ではありましたが、熊本支部道場にて、3時間みっちり個別指導をいただきました。やはり、稽古開始から最後まで気が抜けない時間が続きました。
等々・・・
このように、支部長ご自身が身をもって教えられることには、相当な厳しさがありました。
思い返しますと、支部長との、その長い時間を考えますに、それは「怖い存在」と向き合う時間でありました。しかし、私にはその一つ一つが、空手の修行に限ったことではなく、まさしく、わが身の生きる糧となり、人生の確かな歩みとなったと思います。
ところで、支部長ご自身が若い頃より、終生求めてやまなかった「自由な生き方」は、このような自らに厳しさを求めた上で初めて得られるものではなかったかと思われます(2015年9月7日「先代館長と山内文孝支部長の邂逅」参照)。
これに関しまして、私も、支部長のおかげで、「自由な生き方」というのは決して勝手気ままに生きることではなく、自らに厳しさを課し、その修行の成果として「大空を自由に羽ばたくための翼」を身に着けることだということを学べたように思います。
結局のところ、以上のようなことから、私にとって支部長という「怖い存在」は、同時に、つねに正しい教えを与えてくださる何物にも代えがたい「ありがたい存在」でした。
押忍
2026年09月28日
2026年08月22日
2026年07月27日
2026年06月26日
2026年05月28日
2026年04月26日
2026年03月27日
2026年03月24日
2026年03月23日
2026年02月27日