2015年10月09日
私は、小学校の運動会の徒競争で一等をとった記憶がありません。障害物競争では辛うじてありますが…。
そしてその後、中高一貫校に行きましたが、そこでも同様でした。私の出た学校は、沖縄からの生徒が約半数を占めていました。彼らは一様に抜群の運動神経を持ち、遊ぶように、踊るように、体育の時間をすごしていました。もちろんすこぶる成績が良いのです。
そんな連中に囲まれて、優等を取ることなど叶いません。
本当に凡庸な少年でした。
しかし、強さに対するあこがれはとてもありました。それは、劣等感からくるものだったかもしれません。
いろいろな事情があり、私は24歳から空手を始めました。
空手を続ける中で、先輩後輩の中には非常に空手ができる人がいました。私はある先輩の動きに影響を受けて、その方の真似をした時期があるほどでした。
また、他の支部の方々の中にも優れた技の持ち主が多くおられました。
そのような状況の中で、前述のように才能の無い私が、彼らと伍(ご)していくには何を武器にすればよかったのでしょうか。
実は、かなり早い段階から、「俺には『継続』しかない」と気付いていました。
他には、体格、運動神経、気性など有利なものは持ち合わせていなかったからです。
「継続」には才能が要りません。「俺には継続しかないんだ!」という心の叫びさえあればいいのです。
一つのことを続けていくと見えてなかったものが見えてきます。
才覚ある人が早期に気付くであろう発見や確信も、ひたすら真摯に継続すれば私のような凡人でも少しずつ分かってくると思います。
山内文孝前支部長が、ご生前におっしゃっておられたことです。
「自分に出来なかったことが出来るようになるのが嬉しいのだ。人が出来ることをうらやんだり、焦ったりすることはない。」(拙文:名言集1)
才能があると、世の中面白くないですよ(妬みか?)。
物事が簡単に分かるとつまらないですよ(言い訳かも)。
「分かる」ことに苦労して、その果てに「分かる」ということが分かると、人生とても面白くなると思っております。
押忍
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