支部長雑感

換骨奪胎

2016年07月18日

今使っている技は誰のもの?
私達が、さも自分自身のオリジナルのように思って使っている技は、元来のオリジナルな技術ではありません。
遥か昔に海を渡ってきた空手(昔は「手」とか「唐手」と謂われていたそうです)の動きや、サバキを創出された先代館長や現館長からご指導いただいた技術などは、師から教えて頂き、そして身につけたものであり、もともと一つとして自分が元来持っていたものはありません。

違う例えで言えば、よく稽古の時に少年部に「今、君たちは普通に立って歩いているけど、自分自身で立てたの?」と問いかけたりしています。
「お父さんやお母さんが立って歩いていたから、それを見て育ったから立てたんだよ。狼に育てられた子供は立てないんだよ」と話します。

普段、日常生活で何気なしに歩いています。歩き方を考え悩みながら歩いている人はいないと思います。
なぜ考えなくても歩けるのでしょうか。
それは、いつもいつも歩いているからです。歩く技術が、無意識レベルまで自分の身体の中に染み込んでいるからだと思います。

世の中のすべての事象は、つまるところ模倣と繰り返しで成立していると思います。繰り返すことの大事さは多くの方が日常生活で感じておられることだと思います。

空手の技術に戻りますと、真似と繰り返しを続け、技術を高める努力を続けていますと、最初は師である人の動きに自分の動きが似ています。当たり前ですね。しかし、面白いことに、更に努力を続けると、少しづつ師とは違う動きに変化していきます。そして気づくと自分自身のオリジナルな技となっているのです。
ちょうど同じ幹から育った枝が、成長いていくにつれどんどん枝分かれし、広がり、そして形を変えていくように。

それが換骨奪胎というものだと思います。
自分のものになったのです。
言葉は悪いかもしれませんが、威張っていいのです。
これは「俺の技術だ」と言って良いのだと思います。
でも、威張るのは心の中だけでですよ。
そこは武道です。
師や先輩方に感謝して、謙虚な心で稽古を続けていきましょう。

このように、技術やその中にある心が後輩や弟子に脈々と受け継がれていくことは、例えるならば、人間の命が、一代で終わるはずの寿命が、子孫に繋がっていくことにより、その「いのち」を営々と伸ばしていくのと同じようなものだと思います。

自分たち一人一人が繰り出すその突き、蹴り、サバキなどの技術の中に、遥か昔からの「いのち」が生き続けているのだと思います。

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