2025年12月26日
よく諸行無常といいます。
人は人生を歩み始めてから一時として同じ常態はありません。
心配事として、人間関係、金銭の心配、健康問題、社会不安、家族間のトラブルなど、数え始めたらキリがありません。そのあいだ、悩み、悲しみ、悔しさを味わう、迷い、諦めるなどの気持ちが心を支配します。
逆に、良いことがある、うれしさを感じる、成功の喜びを味わう、幸せの実感を噛み締めるなどといった肯定感や高揚感を持つことがあります。
これらのことは繰り返し、そしてあざなえる縄のように交互にやってきます。そして、それに対して人は一喜一憂します。
うれしい時うれしく思い、つらい時つらいと思う。
一見、当たり前のことに思えますが、しかしそれは、自身が身の回りの出来事に振り回されているだけではないのでしょうか。
なぜ、自身の感情が望みもしないのに揺れ動くのでしょうか。なぜ水平思考や穏やかな平坦な道を歩めないのでしょうか。
この点について、山内文孝前支部長がご生前によくおっしゃられていた言葉があります。
「人生に『良い出来事』とか『悪い出来事』とかないのだ。あるのは『出来事』があるだけだ」と。
これは、山内支部長独特の「無常」と向き合うための示唆だと考えられます。
さらに、「無常」に向き合うヒントになるかもしれないもので、古代中国の思想を見てみます。
「菜根譚」という明時代の洪自誠という思想家が記したものですが、その一節に、
風、疎竹に来る。
風、過ぎて竹に声を留めず。
雁、寒潭を渡る。
雁、去って潭に影を留めず。
(疎竹:竹林、寒潭:冷たい水の淵・池・湖)
というのがあります。
良いことも悪いことも心に留めないことの例えではないでしょうか。
もう一つ、書道家相田みつをさんのお言葉に、
「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」
というのがあります。
こうしてみると、昔から人は、身の回りの出来事に悩んでいたものであるし、そこには必ず「無常感」若しくは「無常観」というものが漂っていたのだと云うことがわかります。
結局、世の中「無常」なことばかりなんだということを自覚して、日々の生活を送ることが、まずもって「無常」への解決策なのかもしれません。
いや、こうしてこのまま今回のお話を終えると、今年最後の雑感でもあるし、なんとも気持ちが落ち着きません。
なので、この世には「無常」でないものもあるのだ、いつの時代にも妥当する悠久なものは存在するのだというものをいくつか挙げさせていただきます。
それは、やさしさ、思いやり、愛、寛容、誠実、個々の命ではなく人と人が紡ぐ永遠の生命などです。
そして、われら武道家が、長い道、永き心としておこなう修行も然りです。
これらは、まったく「無常」とは対極の「不変」だと思います。
皆さま、良い年をお迎えください。
押忍
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