2022年04月25日
表題は、「大会に出る」の間違いではありません。
九州北地区の昇級昇段審査が、8月末にありました。
今回、熊本支部の一般部と少年部のそれぞれ一人ずつ初段を頂きました。
本人たちはとても喜んでいました。
白帯から始め、頑張って稽古をして、段々と級が上がっていきます。目標が目の前にありますので、励みになります。
青、黄、緑と続き、茶帯を締めます。いよいよ黒帯が目の前にやってきます。おそらく、空手を始めて一番張り切って稽古をする時期だと思います。
初段を頂き、免状と帯が届きます。とても嬉しいです。
そして、張り切って道場に通います。
しかし、本当の空手の修行が始まるのは、初段を取ってからという事が言えます。
というのも、近くに目標が無いのです。次の審査が近い時期にありません。何を励みに頑張ればいいのか分からなくなるのです。
芦原空手を含め、武道の目標は、まずは技術の修得だと思います。しかし、これが難しい。
新しい技など、そんなにあるわけでもなく、ただ毎日同じ稽古を続けていくことの辛さは、白帯や色帯時代の比ではないと思います。
そして、あれだけ張り切っていた気持ちが徐々に萎えていきます。
もちろん、二段、三段と目標を置くことも出来ますが、期間が長く、またその間に自身の実力の向上カーブも緩やかになっていきます。
私も、初段を頂いて、1、2年は張り切って稽古をしていましたが、自身の稽古が段々とマンネリになっていくのが分かりました。
この気持ちを、自分自身で解決していくのは容易ではありませんでした。
……
いつ頃からか、私は、黒帯を締めるという事は、自分一人きり船に乗り、大海に漕ぎ出すようなものではないかと思うようになりました。
沖に出れば出るほど、周りには何もありません。ただただ海が広がっているだけです。当然、誰も手伝ってくれません。誰もいません。
孤独でしょう。辛いでしょう。
普段の練習において稽古仲間はいますが、現在の自分の境地にいる人はいません。存在するのは、自分よりレベルが進んでいる人か、自分より後から学んでいる人だけです。なので、自分の気持ちを理解してくれる人はいません。結局、自分で自分の気持ちを解決するしかありません。
一人、大海の真ん中にいて、自分の技を見つめ、自分の心を見つめ、孤独に耐え、孤独を楽しみ、いつか遠い大陸にたどり着くことを確信して、そしてその道中を楽しんで、稽古を続けるしかないのだと思います。
黒帯を締めるというのは、そんなものではないでしょうか。
押忍
このお話は、2014年9月12日の「雑感」の再掲です。
コロナ禍において、道場稽古の回数が減っております。
しかし、元来、武道稽古というのは、一人稽古が重要であり、これ無くして身体の鍛錬や技術の向上はありません。
孤独な稽古が普通であり、不断なものだということから、以前のお話を再びさせていただきました。
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