2025年02月26日
正しいと思っていることが、本当に正しいのか。
正義だと信じていることが、本当に正義なのか。
これは、永遠にわからないことです。
人それぞれ正しいことが違いますし、時代時代でも正義は変わっていきます。
今行っていることは正義なのだ!と思った先から、それは正義ではなくなります。
特に、いわゆる権力を持っているといわれる人たち、組織のトップに立つ人たち、人から持ち上げられたり、おだてられるような立場にいる人たち等々は、誰からも厳しく問われることがなく、忠告されることもないので、自身が正しいと思うことは絶対なのだという思考に陥ります。
こわいことです。
このような人は、信念を持って、平気で人を傷つけます。
信念を持って、戦争を起こし、人を殺します。
なにせ、自分の行動は正しいと思っているのですから。
このような人間が増えたら困ります。本当に困ります。
では、どうしたら普遍的な正義を会得することができるのでしょうか。
それは、現在の自分が持っている正しさは、間違いなのだと認識することだと思います。
それは、自分以外の人が思っている正義の方が正しいのではないかと疑問を持つことだと思います。
それは、何が正しいことかを永遠に自身に問い続けることだと思います。
この作業は、とても大変です。つらいです。
しかし、この作業、言い換えると、このような修行をすることが、真の幸せにいたる最短ルートであると思います。
自分が幸せになれば、他人に対しても、その人の幸せを願えるようになります。
多くの人が幸せになれるように祈れば、社会全体が幸せになると思います。
その為に、なにも「空手をしましょう」とは言いません。
今ある生活、家庭、仕事、社会的関係、ボランティアなど、自身の日頃のすべての行動が修行であり、恒久的正義、その先の幸せを獲得するための作業であると思います。
押忍
今日の拙文は、2022年6月26日分の再掲です。
この拙文を書いてから数年が経ちますが、世界の社会情勢は全く変わっておりません。
思いますに、先日3年目に突入したウクライナへのロシア侵攻に見られるような権力者の判断及び実行は、いつの時代にもありました。
たとえば、1939年9月のドイツによるポーランド侵攻の際、ほぼ同時に作戦開始したソ連のポーランド東部への侵攻理由は、「ウクライナ人と白ロシア人の保護」(当時、いずれもソ連を構成する共和国)でありました。
また、今年1月のアメリカ大統領選挙後のトランプ氏の行動を例にとるように、「選挙で勝利した大統領は何をしても良いのか」という問いもいつの時代にも付いて回ります。
このように、どんなに時代が変わっても、人間のやることに、殊、権力者の行うことに違いはありません。
力を持てば持つほど、人は謙虚にならねばならず、また人は自分の考えに疑問を持ち続けなければならないと思います。
最後にもう一つ、以前の拙文を再掲させてください。
2017年6月1日分です。
『無題』
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対腐敗する」
ジョン・アクトン(イギリスの思想家・政治家、1834年~1902年)
「法の支配とは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理のことである」
(ここでいう「法」は正義の法、すなわち憲法を指しています。日本国憲法もこの精神に依って成り立っております)
「九天墜つるとも、正義はこれを成就せしめよ」
(Let justice be done, though the heaven should fall. ラテン慣用句)
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