2023年07月27日
このところ、不祥事をおこした企業の話題がメディアを騒がせています。
その会社の社長が謝罪会見で、
「部下の不正をまったく知りませんでした。」
「そのような行為をした社員が許せません。」
と話していました。
それを見た私は、この社長は次のようなことを主張しているのだなと思いました。
「私は悪くありません。私の腕が悪いことをしたのです。」
「私の足が悪いことをしたのです。私は知りませんでした。」
私は、人の心や行動は、組織の活動、果ては社会の流れとまったく同じことだと思っております。
人の心の営みが、個々のステージでの結果なのか、全体の結末なのかの差でしかないと思います。
突拍子もない人間や会社が突然現れることはないと思います。
その時代の持つ「善」や「悪」が、目に見える形として、世上に現れるのだと思います。
私は、60年代から80年代あたりのアナログな時代に、幼少年期や青年期を過ごしてきました。昔はよかったなとは簡単には言いません。
しかし、その後インターネットの時代になり、文明の利器(これも死語?)が溢れかえっている現代を思うに、便利にはなりましたが、それに反比例して、人々の心があくせく窮屈で、不遇をかこっている気がしてなりません。
そういう意味では、昔のほうがよかった気がします。
テレビなどを見ても、人の精神的な拠り所を解く評論家やコメンテーターが少ない気がします。そのようなことを言うと嫌われるのでしょうか。
いつの時代でも、普遍的に正しい心というのは、そこらじゅうにあるものではなく、あまたの価値観の中にあって、とても見つけにくく、しかし、手に取るとひかり輝いているもので、それを見つけるために一生懸命探し追い求めるべきものだと思っています。
利益や利便性ばかりを気にするのではなく、「正しく生きることが素敵なのだ」というような空気を醸成する社会であってほしいと思います。
押忍
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