2014年02月01日
1987年暮れ、熊本支部の忘年会に初めて参加しました。12月24日か26日だったと思います。私は、当時6級の黄色帯でした。
稽古納めの後、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)以下、道場生10名ほどでした。
忘年会は、茶帯の先輩が経営するハンバーガー屋さんで行われました。稽古後なのでお腹が減っていて食事が美味しかったです。このハンバーガー店は熊本市郊外にありました。
1次会終了後、移動して繁華街へと向かいました。
そして街中での2次会でのことでした。
2次会は、これまた道場生のお母さんが経営されているスナックでした。
私は、この年の7月入門でしたので、周りはほとんど先輩ばかりでした。当然、私は末席です。
支部長や諸先輩方も徐々に気分が盛り上がり賑やかになってきました。
しかし、そこは空手道場の忘年会です。先輩方も背筋を伸ばして姿勢を維持されています。
そして、先輩のお一人が支部長にカラオケを勧められました。
支部長もそれに応えられ、マイクを握りました。支部長はすこし照れておられましたが笑顔でした。
選んだ歌は、河島栄五さんの「時代おくれ」でした。
前奏が終わり、支部長が歌い始めました。
あのー、書いて良いものか迷いましたが……、
ええいッ書きます!
凄く音程が外れていました!
私は、会館に入ったばかりなので、支部長の歌をお聞きするのは初めてでした。
くどいようですが、空手は武道です。先生や先輩のことを非難したり笑ったりすることは厳禁です。しかし、この時は……。
こみ上げてくる気持ちをこらえるため顔と顎に力を込めました。歯を食いしばります。私は下を向いて、真剣に歌を聴いているふりをしました。でも、こらえきれず自分の肩がプルプル震えるのがわかりました。
そのうち、ふと顔を上げました。先ほど申したように私は後輩ですので、末席に座っていて、前には支部長の歌を聞かれている先輩たちの背中が見えました。
なんと、先輩たちの背中がプルプル震えています。
感動していたのでしょうか、堪えていたのでしょうか。……わかりません。
支部長の歌が終わりました。
皆、パチパチパチッと大きく拍手をしました。
支部長も嬉しそうにされていました。
支部長の歌は、その後何度も聞く機会がありました。その後は本当に上手になられました。お世辞ではありません。背中がプルプルしたのは、この時の一回きりでした。
このような話を書いてしまい、支部長、すみません!
……
本題です。
支部長は、くだんの「時代おくれ」と「蒙古放浪歌」という歌がお好きでした。
この「蒙古放浪歌」は、先代館長も大好きな歌であり、このことは空手界では有名なお話になっています。
先代館長は、東京から四国という土地に、すなわち誰にも頼ることの出来ない場所に、ただ一人で極真会館の先兵としてやってこられたのです。
そして、この「放浪歌」は、親兄弟と別れ、知る辺の無い土地において力強く生きていくことを誓った男の孤独を見事に唄い上げた歌です。
まさしく先代館長の人生そのものの歌ではないかと思います。
また、支部長も九州熊本から単身一人で、四国におられる稀代の空手家芦原英幸先生の門を叩き、その厳しい修行を耐え、みるみる頭角を現し、そして芦原先生の信任を得て、再び九州の地で芦原空手の普及に心血を注がれたのでした。支部長も「放浪歌」にみられるような強い男の一人であられたと思います。
支部長は、芦原道場入門前の学生時代からこの歌を好まれて、よく歌っておられたそうです。そして、入門されてから、先代館長もお好きであったことを知り、びっくりされたそうです。ちなみに先代館長の「放浪歌」は一部歌詞を変えられ「芦原放浪歌」と言うべきものでした。
八幡浜道場時代に、よく先代館長に「おい、山内!放浪歌を歌ってくれ!」とリクエストされていたそうです。歌詞が長いので、正確に覚えておられた支部長が歌わされていたのでしょう。
支部長はキャンプがお好きで、私も何度かお供をしたことがありました。一緒にキャンプに行くと、夜中に火を囲んで「放浪歌」を聞かせて頂きました。
支部長の唄われる「放浪歌」は、しみじみと胸に響く良い歌でした。
押忍
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