2014年12月21日
辛く悲しい事件が続くと、いつも思うことがあります。
「人を責めちゃだめだ」と。
人の痛みを分かりなさい、とよく言われます。
しかし、自分は痛くないのに相手の痛みが分かるわけありません。
……
私たちは空手をしています。
人を攻める、人に勝つための稽古をしています。
ところが、空手を稽古すると、人の痛みが良く分かります。
何せ、空手の技はおよそ決まっていて、自分が相手に放つ攻撃技は、いつか自分が受けたことのある技だからです。なので、今相手はどのような痛みを感じているかが良く分かります。
日常生活はどうでしょう。
普段の生活に暴力はあまりないでしょう。
しかし、それ以上に辛い、きつい、恐ろしい、「言葉の暴力」と言うものがあります。
インターネットが発達し、人の顔を見ることなく人と会話をし、意見を言えるようになりました。
かつての情報の送り手と受け手が分離した社会から、再び市民が情報の発信者としての力を得ることが出来る社会になりつつあります。このこと自体は、非常に良いことだとは思います。
しかし、だからと言ってなんでも好き勝手に発言するのは危険だと思います。人を傷つけます。
有形的暴力よりも、言葉の暴力の方が、後々まで長年、人を苦しめます。
自分が放った言葉が、相手にとって痛い、苦しい思いをさせているかを自身で省みることです。
……
日頃から、身体を動かすことが、精神の平衡感覚を保ち向上させることにつながると思います。以前、お話したように、脳の活動領域において、運動を司るところと思考を司る場所は近接しているそうです。
空手を練習することにより、自身の痛みを知り、相手の痛みを知る。
自然と、日常生活で使う言葉も間違いなく変わってきます。
手前味噌ですが、芦原会館において、日頃、道場生同士で交わされる言葉の丁寧さはその証左と言えると思います。
繰り返しになりますが、言葉は、時に、有形的暴力よりも人を傷つけます。
自分の知らないところで、自分が放った言葉で、人が苦しみ悲しんでいるかもしれないという事を、常に意識するくらいが丁度良いのではないでしょうか。
人を責めてはいけないと思います。
押忍
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