支部長雑感

畏れ(おそれ)

2013年12月01日

日本には、八百万(やおよろず)の神様がおられるといわれています。
どこにいようと、どこに行こうと、常に神様が見ておられます。
このようなことを言いだすと、怪しい奴め!と言われそうですが…。

私には、今もはっきりと覚えている思い出があります。
小学校1年の時のことです。ある日、何かの用事で夜中に家を出ました。家を出ると、まん丸の月が、道向こうの家の屋根の上に出ていました。
私は家の前の歩道を歩き始めました。
ふと月を見ると、なんと私の歩調に合わせて付いてくるではありませんか。
私は月を見ながら走り始めました。月から逃げたかったのです。
しかし、月はずっと私に付いてきます。
「はあ、はあ、はあ…」息が切れました。
月は、まだ私を追いかけています。

私は立ち止まり、月に向かって祈りました。
「お月様、ごめんなさい。もう二度と悪いことはしません。だから、僕に付いてこないでください。」
以前、少し私自身のことを書きましたが、小さい頃、かなりやんちゃな子供でありましたので、いつも悪さをするから、お月様が私を見張っていると思ってしまったのです。

……
武道においても、畏れは必要だと思います。
稽古を積み、自信を持つことは良いことだと思いますが、それが過信となってしまうと危ういことだと思います。

同様に、日頃の生活でも、常に自分の行動を、神様(どのような対象かは人それぞれだと思いますが)と自分自身が見ていると意識することが出来れば、自然と行動規範の中で生きることが出来る気がするのです。
このような考えは窮屈でしょうか。

稽古の中で時々話すことですが、基本稽古で「三戦立ち」(さんちんだち)のように動きを制約する立ち方で基本を行い、その姿勢で自由に動くことが出来るようになれば、本来の自分の「構え」に戻った時には、更にはるかに自由な動きが、使う技に威力が出る法則を崩すことなく出来るようになると思います。

同様に、
心の自由さは、無制約の中にあるのではなく、初めから決まっている「きまり」を守ってこそ本当の自由であると私は考えます。
その「きまり」の中の一つに「畏れ」ることがあると思います。言い換えると、自分以外の人や物を尊重するということだと思います。

私は常に「畏れ」を抱いて生きていきたいと考えています。
                           押忍

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