2015年02月22日
今から1200年ほど前、中国唐時代の瑞巌寺に師彦(しげん)禅師という方がおられました。
禅師は、いつも
「おい、主人公!目を覚ましておるか。……はい!」
「いつ人から騙されるかわからないぞ。……はいはい!」
と、毎日声を出して、ご自身に問うてご自身で答えるという行いをされていたそうです。
私はこれを30歳台の頃に読んだとき、全然意味が分かりませんでした。
こんなことを自身で問答することに何の意味があるのか?
自分で自分に言い聞かせないと、迷ったり騙されたりしてしまうのか?
などと思っていました。
解説書を読むと、非常に高度の理解を求められる公案(禅における問題集)であると書いてあります。
私は今のところ、自分の現時点のレベルで自分なりの解釈をしています。
世の中、何が正しいことで、何が悪いことか。時代を超えた普遍的な生き方や絶対的な正義は本当にあるのか、等々色々なことを考える時、この「主人公」という公案は役に立つ気がしています。
日頃、人は自分の考えで生きています。しかし、それは本当に自分の考えで生きているのでしょうか。
そこに言う「自分の考え」とは……
テレビの中の考えでは?
友人の意見では?
その友人は何からその意見を仕入れたのか?
尊敬するあの人が言っていることだから?
有名な学者がそう言うから?
世の中全体の空気じゃ?
この公案は、はたして本当の自分は今ここにいますか?という事を問うている気がします。
刑法学者の団藤重光先生がご生前、著書「わが心の旅路」で仰っておられます。
「すべてを自分で考えてほしい、ということの一言に尽きます。情報過多の時代ですから、情報の波に押し流されたら何もできはしません。ハイ・テクノロジーの世の中になればなるほど、主体性というものを持ってほしいということです。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考え、自分の心で判断していく、ということをやってほしいということです。
これは、何も法律をやる人に限らず、すべての人にいえることで、そうでなければ、二一世紀というものは本当に索漠たる世の中になっていくと思います。機械が人間を支配するような世の中にしてはいけないのです。」(昭和63年3月10日 初版第3刷 283頁)
情報のスピードは遅かったであろう1200年前、インターネット前夜の1980年代・・・いつの世でもそうであったように、ましてや現代は真の意味で自分の考えを持つことが難しい時代だと思います。
2015年の今、テレビ、インターネット、スマホなど集めようと思えばどれだけでも情報が集められます。
しかし、その中に自分自身はいません。どんなに探しても他者や他所に、「わたし」を「主人公」にしてくれる材料はないと思います。
むしろ、主人公を自分以外のものにさせられてしまうものが現代にはあり過ぎるほどあると思います。
では、自分を主人公にするにはどうしたらいいのでしょうか。
まずは、今の自分が果たして本当に自分の考えで生きているのだろうか。そこから始めないといけないと思います。
押忍
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