支部長雑感

捨ててしまえ

2018年06月21日

禅のお話に「放下著」(ほうげじゃく)というものがあります。
以前、書きました「喫茶去」(2013年10月12日分)というお話で出てきた趙州禅師の言葉です。

このようなお話です。

厳陽善信が、まだ修行中のこと、趙州和尚に尋ねた。
「私は、今、一切を捨てつくして何も持っていません。さあ、私は、どうするべきなのでしょうか」
「放下著(捨ててしまえ)」
「捨ててしまえといわれても、もう、何も持っていないのです。何を捨てるのですか」
「その、捨てるべき何もないというものを、捨て去るのだ]
(『趙州録』「禅の本」1994年5月10日第7刷 205頁 学習研究社)

……
この1,2ヶ月、大きく話題になりました、某大学アメフト部の悪質タックル事件において加害選手の謝罪会見を見た時、この「放下著」の話を思い出しました。
たしかに当該選手は悪いことをしましたが、その会見において、彼はすべてを捨ててお詫びをしました。
この「すべてを捨てる」というのは大変むずかしいものだと思います。それを20歳の若者が為したのです。
謝罪会見というものを開くときに、多くの場合、少なからず言い訳や自己弁護をしてしまいます。悪いことをした自分にも言い分があります旨の言葉がつい出てしまうのだと思います。
しかし、この選手は、このような言い訳等を一切せず、真心からお詫びをしたと思います。
苦しかったことでしょう。

この会見ののち、会見を見られた被害者、そのご家族、関係者、さらに視聴者の多くの人が、そのお詫びに納得をし、そして、当該選手の行った行為を許したことは、衆目の一致するところだと思います。

……
さらに、私は、この「放下著」の話を考える時、前からいつも頭に浮かんできたのは、終戦直後の昭和天皇のお姿であります。
1945年(昭和20年)9月27日、昭和天皇は連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに初めてお会いしました。
その際、天皇陛下がマッカーサーにおっしゃったお言葉は、
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を追う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」(「昭和天皇論」小林よしのり 2010年3月20日第1版 37頁 幻冬舎)
というような趣旨のものでありました。

当時、戦後処理において、アメリカを始めとする連合国には、日本の天皇に責任を問う声が非常に多かったそうです。進駐、統治を始めたばかりの最高指揮官のマッカーサーは、昭和天皇が「責任逃れ」「命乞い」をするのではと思っていたそうです。
ところが、天皇陛下は、そのようなことを一切なさらず、戦争遂行の全責任を負うと話されました。
マッカーサーは、感動したそうです。
このマッカーサーという人は、一説によると非常に自己顕示欲の強い人で、この昭和天皇との初会談に際して、「お迎え、お見送りはしない」旨を、日本政府関係者に事前に伝えていたそうです。
しかし、この天皇陛下の、国民のためにご自身のすべてを捨てて示されたお覚悟を聞き、非常に激しく感動し、マッカーサーは自らの例を破って、会見のあと、陛下のお見送りをしたそうです。
その後、アメリカ本国に対し、昭和天皇を戦犯裁判にかけると日本国は大混乱に陥るであろう、そして最低100万人の駐留軍を永久に置かねばならないであろう趣旨の電文を打ったそうです。

……
いろいろお話しましたが、このような「捨ててしまえ」という考えは、時代が移り変わっても全く普遍のような気がします。

歳を重ねる程に、守るべきものが増え、捨てきれないものが増え、その結果、身動きが取れずに自らを窮地に陥らせてしまう。このようなことが非常に多い気がします。
しかし、このようなことになってしまう人は、弱いからそうなってしまうのかと言えばそうでもないと思います。それが普通なのではないでしょうか。
そう、誰でもそうなってしまうのだと思います。

困難に直面した時、「自らを捨て去り、事に当たる」人がそうそういる訳もなく、もしいるとしたら、その人はとりわけ強い人なのだと思います。

私も、危難に遭遇した時、「放下著」ができるのか自信がありません。
空手修行を通じて「捨ててしまえ」る勇気を養い、そして、それを堅持できたら、と切に思います。

押忍