支部長雑感

「黄金の左」逝く

2018年10月10日

元横綱輪島関が亡くなられました。
私が、特に相撲に夢中だったのは、昭和50年代、まさに輪島、北の湖、初代貴ノ花、二代目若乃花、魁傑、旭国、三重の海などの名力士らが活躍していた頃でした。それは個性派揃いの華やかな時代でした。

小学生中学生だった私には、相撲の武道的技術など皆目わかりませんでした。しかし、空手を始めて、そして年数が経ち、改めて映像で輪島関の相撲を見ると、その技術や取り口に対する考え方の素晴らしさに気づきました。

輪島関は、大学相撲出身でした。この方の凄いところは、考える相撲を取られたところだったと思います。
大学までは、右四つ左上手の相撲でしたが、角界入りに際して、プロの世界の大型力士に対抗するため、自身のスタイルを左四つ下手主体(しかも半身)のスタイルに変更しました。

輪島関の戦い方の特徴を挙げたいと思います。
①立会い
輪島関は、当たるとき、両手を出して相手の動きを一瞬止め、そして四つに組み止めます。両手を出すといっても、後の寺尾関のように突き放すのではなく、相手の勢いのみを削いで、そしてふわっと四つに持ち込むのです。
これならば、相手が大型力士でも、また強力な押し突き相撲でも、スムーズに四つに持ち込めます。
②受け上手
輪島関は、手足は細いのですが(これは良い意味です)、非常に肩幅があり、手がまわしに届きやすいのです。腕がしなやかなので差し込みが良く、相手に土俵際に持っていかれても、差し込みからの引きつけで、相手は身体が浮いてしまい、それ以上押せなくなるのです。
手足がすらっとして、それでいて肩幅が異常に広いというのは、先代館長と全く同じですね。まさに武道的体型だと思います。
輪島関は、ご自身の体格の特徴をフルに活かしておられたと思います。
③下手投げ
下手投げが得意な力士というのは、輪島関の後、まず見たことありません。舞の海さんくらいでしょうか。
普通の下手投げはというと上手側からの引き込みを利用して巻くように投げるのですが、輪島関の下手投げは、体(たい)の開きを早めにして、左腰に相手の重心を十分に乗せてから投げます。投げるというより、相手を腰に乗せて落とす感じでした。投げられる方から見ると、自身の腰が相手の腰の上に乗ってしまうので、その後は耐える体勢をとることができなくなります。結果、あの大きな北の湖関や高見山関がコロコロと投げられてしまうのです。
④試合運び
輪島関は組んだのち、あまり動かない、若しくはゆっくり動くので、ならばと相手が勢いそのままに出ていきます。輪島関は「黄金の左」と云われていましたが、じつは右腕が強いのです。その右からの強烈なおっつけにより、相手は自分の腰が浮き気味なのに、勢いに任せて前に前にと進んでしまい、まんまと輪島関の術中にハマってしまうのです。
ゆっくり動くというのは、武道的にも理想とするところだと思います。体全体の動きが、より腰の主導に忠実になるからです。さらに、組み合う格闘技にありがちな偶然要素に左右されやすい試合結末を回避できます。

……
いろいろ好きなことを思うままにお話ししました。全くの私見ですので、反論ご容赦ください。

輪島関のように「考えて戦う」「自分の体格、特徴を活かす」というのは、武道を志す私達には必要な考え方だと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

押忍