2013年10月12日
「きっさこ」と読みます。
「喫茶去」は、禅の世界のお話です。
これは「まあ、お茶をどうぞ」という意味です。
千利休に代表されるように、日本の「茶道」と「禅」は切っても切れない関係にありますが、これはかなり昔の中国のお話です。
『喫茶去』
中国唐時代の終わりの頃。
ある寺院におられた趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)禅師(778年~897年)という方のもとに、ひとりの僧が訪ねてきました。
趙州禅師「あなたは、かつてここに来たことがありますか。」
僧 「あります。」
趙州禅師「そうですか。まあ、お茶をどうぞ(喫茶去)。」
また別の僧が訪ねてきました。
趙州禅師「あなたは、かつてここに来たことがありますか。」
僧 「ありません。」
趙州禅師「そうですか。まあ、お茶をどうぞ(喫茶去)。」
この様子をみていたこの寺院の院主さんが不思議に思い、趙州禅師に問いかけました。
院主 「禅師は、かつて来た者にも『喫茶去』と言い、
かつて来たことがない者にも『喫茶去』とおっ
しゃいましたが、何故なのですか。」
趙州禅師「院主さん!」
院主 「はいっ!」
趙州禅師「まあ、お茶をどうぞ(喫茶去)。」
というお話です。
なんじゃこりゃ、とお思いの方もおられるかもしれません。
私は、この話が大好きです。自分の人生の指標の一つになっております。
このお話の意味は、いろいろに解釈されていると思いますが、私は、前々回お話しました「価値相対主義」の代表的事例だと解しております。
私の解釈を「空手」に置き換えてお話します。
例えば、道場には、先輩がいます。後輩がいます。上達者がいます。あまり上手くない人がいます。高齢の方がいます。自分より年下がいます。
さて、私たちは、その人たちとどう接していけば良いでしょうか。
先輩にはペコペコ。
後輩には胸を反らして。
あの人は年上だが俺より後輩なので、俺の方が威張って良いんだ。
年下はどうでもいいや。
今夜の組手も下手な人とやろうかな。
……というようになっていないでしょうか(芦原会館にはこのような人はいませんが)。
趙州禅師は、熟練者にも、未経験者にも、立場のある人にでも全く変わりのない態度で接しておられます。そして、過去も現在も未来をも穏やかに見据えて過ごされていたのでしょう。このお話は、禅師の心の平坦さも感じさせてくれます。
では、私たちはどう過ごせば良いでしょうか。
先輩を敬う(いつか自分もこの道を歩んで先輩の境地に近づきたい)。
後輩を可愛がる(かつて自分も歩んだ道を、後から頑張って歩いてきている)。
年上を敬う(自分より年月を重ねられている方なのだから、自分より豊富な経験とお考えをお持ちなのだ)。
立場のある人を尊重する(忙しい方なので、その立場でご苦労されていることでしょう)。
……等々。
私は、稽古すればするほど、熟練すればするほど、この趙州禅師のように、どのような人にも変わらぬ接し方が、そしてどんな時も変わらぬ心持ちで過ごすことが出来るようにならねばと思っております。
芦原会館の道場生は、非常に真面目で、礼節をわきまえております。例えば、先代館長が、道場生の言葉使いを厳しくご指導されておりましたことを、現館長を始め私たちは実践しております。
手前味噌ですが、芦原会館はすばらしい空手団体です。
どうぞお近くの支部道場をご覧になってください。
その雰囲気がお分かりになられると思います。
すみません。宣伝してしまいました。
押忍
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