支部長雑感

あらためて、価値相対主義

2021年10月14日

価値相対主義は、ご存じの方もおられると思いますが、この説を唱えたのはドイツの法学者ラートブルフ博士が最初です。博士は、相対主義は民主主義と不可欠に結びついていると主張されています。

私が価値相対主義を知ったのは、大学の授業がきっかけでした。
ご担当された法哲学の教授が、決められた単位の授業の中で、特に力を入れて講義されたのがこの価値相対主義でした。
感動しました。
学年試験にも出ました。
問題は、「価値相対主義は、絶対主義に対してはどうか」というものでした。答えに不正解は無いと思います。どのように答えてもバツではありません。私は答案に、「相対主義はあらゆる事象に対して寛容であるが、絶対主義に対してだけは不寛容である」と書きました。

さて、自分と違う意見の人や団体に対する態度は、正当な批判で終わらず、往々にして根底からの否定、人格攻撃、果ては憎しみにまでなってしまいます。
しかし、そこからは何も生まれません。

民主主義の正当性は、少数意見の存在を認めるところにあります。多数である意見が一応正解とみなされるのは、少数意見の考えも間違いではないが今回は多数の意見の方に従おうという妥協がそこに生まれるからです。妥協という言葉は、一般的にあまり良くない表現として使われますが、その本当の意味には、討論と決定、そして他者への尊重が含まれています。

したがって、敵味方を区別して、自分に対して違う意見を発する勢力を排斥、弾圧するような大統領や首相は、国家の首長として民主主義を標榜する資格はありません。
また、我々の日常生活の周りを見ても、自分と違う意見の人を嫌い、悪口を言い、果てはその人の全人格を否定されるような方もおられますが、やはりそこからは何も生まれません。
行き過ぎた他者批判は、ネット社会になった現代においては、特に顕著になってきております。

こうしてみると、個人として、自分の信念を持ちつつ、しかし他人の意見も尊重するという実践は難しく、そして、それには辛さを伴うということが分かります。
しかし、辛いからと言って相対的な物の考え方をやめると、自分の周りから幸せが遠ざかります。社会も悪い方向に行くと思います。

嫌な思いをした相手や事柄に対してどのように接するか。
辛抱するのか。
自らの意見をわかってもらう努力をするのか。
何もできず悩んでしまうのか。

簡単に答えが出るとは思いません。
私が考える解決策は、修行です。
日常の生活がそのまま修行です。
日頃の鍛錬です。
失敗や悔しい思いをしながら、それでも少しずつ相対的なものの考え方を身に着けていく努力を続けることだと思います。

修行を続けるという点において、空手は価値相対主義がそのまま妥当する世界です。
私は、武道の本質は、相身互いの考えを醸成すること、平和の心を身につけることだと思っております。
武道、禅的思考、そして価値相対主義は全くの同義語だと確信しております。

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