支部長雑感

辛抱ばい!

2013年11月21日

熊本の方言で、「辛抱だよ!」という意味です。

「辛抱ばい!」……山内文孝 前支部長(以下、支部長とします)の口癖でした。
支部長は、高倉健さんのファンでありましたので、この言葉は、健さんから来ているのかもしれません。

さて、1998年春、私は支部長より熊本道場を任されましたが、支部長は、その少し前より熊本県玉名郡長洲町というところで過ごされるようになりました。ご実家でした。

そして、お亡くなりになる2012年7月まで、そこでの生活は、まさに「晴耕雨読」の生活そのものでした。
晴れた日は田を耕し、雨の日は書物を紐解き、そして「万次郎窯」というご自身の工房で、茶碗や器など焼き物を焼かれる。

「老子荘子」を好み、その思想を実践される毎日。
徹夜で、火の番をされた日々。
もちろん空手修行も続けられました。
そして、ご自分のご病気を知りながら、さらなる精神の高みを目指す努力を続けられ……。

支部長がご実家にお戻りになってから、私は教えを受けに長洲町のご自宅にお邪魔しました。毎週水曜、熊本市から約1時間30分かけて通いました。これは、私が膝を怪我するまで1年ほど続きました。

思い出をひとつ。
ある夏の日のことでした。いつものようにご指導いただくためお邪魔した時のことです。その日はとても暑かったです。
ご自宅の近くに丘があり、その芝生の上で技術指導をして頂き、最後に仕上げの組手となりました。手加減なしの組手です。

近くで蝉がうるさいように鳴いています。
しばらくお互い隙を伺っていると、支部長はススっと間合いを詰め…
バチンッ!
私の顔面、右の頬のあたりを掌底で打ち抜きました。
クラクラしました。
そして、支部長は距離をとり、ニヤリと笑い、左の手のひらを私に見せて一言、
「蚊だよ」
私の頬に蚊が止まっていたのでした。

……
2007年秋からは、今度は、支部長に月に一度、熊本市に来て頂くことになり、個人的にご指導頂くようになりました。これは、お亡くなりになる年の2012年春まで続くことになりました。

さて、「辛抱ばい」です。
いつもご指導を受けていたのは私ともう一人、Oさんという支部長の長年の弟子の方でした。
熊本支部道場でご指導を頂くようになったある日、Oさんが仕事のことで悩み、支部長に相談しました。支部長もいろいろ励ましておられました。

そして、次の稽古指導の日に、支部長はOさんに紙包みを渡されました。
中身は、焼き物でした。大きめの湯飲み茶わんです。
その湯飲みには、「辛抱ばい」と彫られていました。
支部長の書かれる文字には特徴がありました。はっきり言うと個性的でした。しかし、温かみのある文字でした。その字体で、焼き物の腹に彫られていました。Oさんはとても感動していました。
支部長のやさしさがにじみ出ている茶碗でした。

普段の会話の中でも「辛抱」という言葉を口にされていました。私たちにも、よく諭されていました。そして、私も落ち込んだ時には、その言葉に励まされ頑張ろうという気持ちがわいてきました。

私も「辛抱ばい」茶碗を頂きました。しかし、私が頂いたのは支部長がお亡くなりになった後でした。
支部長の工房には多くの焼き物が残されていました。その中に、その茶碗はありました。ご遺族の方に「是非ください」と申し出て頂いたのです。

今、茶碗は私の部屋に飾ってあります。
支部長の写真とともに。

これからも何かつらいことがあったら、支部長は私に、こう言ってくださいます。
「辛抱ばい」
                           押忍

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