支部長雑感

元大関魁傑関(放駒親方)のご逝去を悼む

2014年05月19日

魁傑さんが昨日お亡くなりになったことは、今朝の新聞で知りました。
思わず涙が出てしまいました。

1974年(昭和49年)、魁傑関が三役に定着された頃にファンになりました。私は当時小学6年生でした。
魁傑関の取組をドキドキして見ていられなくて、代わりに親に見てもらった時期もありました(後で結果を聞いてVTRで見るのです)。

そして、1975年(昭和50年)1月場所後に大関になられました。
しかし、その年の秋、大関から陥落しました。肝炎が原因でした。
真面目な性格で、いわゆる星の売り買いを絶対しない方でした。それゆえに大関から落ちたのです。
「休場は試合放棄だ」という名言も残されました。

しかし、その後も腐らず努力を続け、肝炎が治り、元の実力が戻ってきました。
そして、1976年(昭和51年)9月場所に14勝1敗で2度目の優勝!翌年1月には大関に再昇進しました。

大関陥落後にカムバックした力士はその後数人いますが、翌場所10勝特例で返り咲いた力士のみです。
そういう意味では、完全に陥落後に大関に戻られたのは、今もって魁傑さんだけです。

ご存じのように、その誠実な性格は、引退後の相撲協会でも重きをおかれ、大相撲の歴史始まって以来の危機である八百長事件の際、請われて理事長になられました。
私自身は、この時期にあってこれ以上の人選はないぜ!と喜びました。
公益財団法人への移行も、この問題のせいで危うかったのですが、さすが魁傑さんでした、無事に日本相撲協会は公益財団法人になることができました。

ところで、私は、魁傑さんのサインを2枚持っています。
1枚は、初めて大相撲を見に行った、くだんの頃の昭和51年11月場所14日目に頂きました。
この前場所優勝して、関脇に戻り、再度大関に向かってまい進されている場所でした。
この日の取組も魁傑さんは勝ち、花道を戻ってこられた時に待ちかまえて、色紙に書いていただきました。緊張しました。なにせ、魁傑関が目の前に立っておられるのですから。
嬉しかったです。あまりに嬉しくて、その夜、熊本に帰って、自宅の近所の人に見せて回ったほどでした。
2枚目は、中学高校時代の友人からもらいました。
魁傑さんは、その友人の実家が営む旅館のお得意さんだったのです。
その縁でサインを書いてもらっていたのを分けてもらいました。
いずれも私の宝物です。

古今東西いろいろな力士がいる中で、何故、私は魁傑さんだけファンになったのか、今は、自分自身の心の中で理解できます。

ただただ、ご冥福をお祈り申し上げます。

押忍

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