支部長雑感

先代館長と山内文孝支部長の邂逅

2015年09月07日

昭和51年(1976年)10月のことです。
既に全国にその名をとどろかせておられた先代館長のところに、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)は見学に行かれました。
場所は、かの八幡浜道場です。
福岡大学4年生であられた支部長は、「あの有名な芦原英幸先生を見に行こう」とはるばる愛媛県八幡浜市まで行かれたのです。

稽古時間も終わり方に差し掛かりました。
道場の隅で見学されていた支部長に、先代館長は目を留められました。
そして、近寄って話しかけられたのです。

このあたりのくだりは、先代館長の著書「流浪空手」(1981年11月10日初版発行 スポーツライフ社)に詳しく載っています。


「君は何かやっているね?」
先代館長は鋭い方なのです。

すると、支部長は、
「はい!空手をやっています!」(あー、言わなければ良いのに)

先代館長は、
「そうかー、ではちょっとやってみないかい?」(笑顔で)
ということで、組手が始まりました。

結果は、当たり前ですが皆様のご想像の通りであります。
後々、私に話してくださったのには、
支部長「目の周りがパンダになったよ」「全く歯が立たなかったよ」


ご自宅へ戻られた支部長は、悩まれました。
大学の4年生、まさしく人生の岐路でした。
就職という道もあったことでしょう。
しかし、支部長ご自身は常日頃、ご自分の人生に対して「自由であること」「自由な生き方」というものを非常に意識されておられました。
「普通の人生は送りたくない」と。
そのような時に、先代館長との出会いがあったのです。

支部長は、その年の12月、意を決して、再び四国に向かわれ、先代館長の門を叩かれたのです。
翌年3月大学を卒業されましたが、そのまま八幡浜で修行の道を選ばれたのです。
先代館長の下で、メキメキと頭角を現した支部長は、その後、全日本大会の代表選手の一人に選ばれるなどして活躍されました。

しかし、修行時代には辛いことも多かったそうです。
エピソードをひとつ。
いつも、早朝や稽古前にランニングを日課とされていた支部長は、八幡浜道場から八幡浜港フェリー乗り場まで、よく走られていたそうです(片道3キロほど)。
そして、フェリーの桟橋にさしかかると、
「あぁ、このままあの船に乗れば、九州へ帰れるんだなあ」といつも思っておられたそうです。
山内青年、郷愁の一幕ですね。

先代館長も常にランニングを欠かすことのない方でした。
なので、支部長は走っている途中で、同じくランニング中の先代館長に、度々道端で会われていたそうです。

「山内はいつも走っているからなあ」
支部長の影の努力を認めておられたこのお言葉は、とても励みになったそうです。

押忍

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