支部長雑感

「基本」に対する基本的な考え方

2018年08月13日

プロと称される野球やゴルフの選手の球を打つ際の、あるいは投げる時の腰の動かし方には、目を見張るものがあります。
それは、必ず動作のはじめに腰が動き、それに付いていく形で末端の各部位が動くというものです。
身体の中心である腰の力が、順序よく伝わって、必要なところに最大限の威力として発揮されるための動きです。これがスポーツや武道の本来の「基本」ではないでしょうか。

かつて、先代館長は、芦原会館を創始される前、修行された団体において基本稽古を指導される時、上記のごとく現在の芦原空手の「基本」のように、しっかり腰を意識させて動きを示され、そのように道場生にも行わせておられたそうです。
ところが、所属されておられた団体の館長や師範の方々は、先代館長の腰を動かす基本に対して、「体が流れる」との理由で批判的だったそうです。
しかし、身体の「ちから」を最大限に発揮するための稽古でないと、やる意味がないのではないでしょうか。すなわち、下半身を固定し、上半身の動きだけを繰り返す練習には、あまり成果がないように思われます。
先代館長が指導された、しっかり腰を使って「自身の持ちうる力を最大限に発揮させる技術」を習得するというお考えは、現館長も継承されておられるものであります。
以上のような理由により、芦原会館の基本稽古は、身体動作に対する高度な理解のもと、非常に正確で、そして合理的に武道空手の本質を理解できる「基本」になっていると思います。
私達門下生は、先代館長や現館長の「基本」に対するお考えを、常に感じて稽古を続けております。

……
武道に限らず、文化、芸術、学問など多くの分野の、その道に対する理解・考え方・進め方・指導のあり方などで基礎となる、最も大切なもの、集約したものが「基本」という名で呼ばれていると思います。

逆に、その基礎が、真の意味でその道の「基本」でなかったら、それは恐ろしいことだと思います。
後進の生徒が、己の信じていたものが本当のものでなかったら、どのように思うでしょうか。裏切られたと思うのではないでしょうか。

斯界の権威と云われる先生、巨匠、教授などその方々が作り上げた「基本」の中には、トップたる指導者が示す技術理解の高さだけが「基本」として存在するのではありません。
その道に対する「考え方」、「誠実さ」、「勤勉さ」、はては「優しさ」や「人を思う気持ち」までも「基本」の中に込められなければならないと考えます。

なぜこのような一種極端とも思えることを申すのかといいますと、私たちが修行する空手というものは、人を倒す技術を日夜稽古し続けているのです。この、人を傷つけることを目的とするような技術の習得には、そのことを肯定できる上記のような基本精神が備わっていないと、それは人の道、正義の道ではなくなると思うのです。

私は、空手の基本稽古に限らず、世の中の全ての「基本」にはこの考え方がなければならないと思います。

人の実生活に見てみても、生きるための基本となるものが、生活している社会、従事している仕事、自分たちの家庭、そして己の人生に、正しく正確に備わっていないといけないのではないかと思うのです。
でないと、安心して生きていけないのではないでしょうか。

そうしてみると、未熟な後進に、最初に「基本」を教えることになるであろう親、教師、指導者、先輩などの責任には大きいものがあると思います。

私の「基本」に対する基本的な考え方でした。

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