2021年03月30日
「〇〇はこういう人間だ」
「△△国のそういうところが我が国より劣っている」
「あの事件はこういうことに決まっている」
「この組織の決定は間違いだ」
テレビなどの報道で、キャスターや評論家が物事を断言します。政治家が自信たっぷりに広言します。
これらを聞くと、通常、聞いている人達は納得します。
断言されると「そうか、そうなんだ」と安心します。
人は納得すると、その後の思考を止めてしまいます。
私はこのような思考パターンが恐ろしいと思います。
思い込みは思考を鈍らせます。そして、その後の再考や再評価をしなくなります。
私の経験で例えれば、昔、仕事で人と話していた時、その人がある人物を評価しました。その時、私は「そうか、あの人はそういう人なんだ」と納得しました。
その後、相当な年数が経ったのち、その「ある人物」に初めて直接会う機会がありました。
ところが、会って話をしてみると、その人は、以前に他人から言われていた人物像とは全く違う、それは立派な方でした。
私は、この人物を他人から言われた評価のままに決めつけをしていたことを後悔しました。
その後、そのようなことがずっと続いて、その果てに「はて、他人の言うことと自分の思うことは全然違うのではないか」という、至極当たり前のことにやっと気付くことができました。
ようやく私は、人から言われた物事や人物などの評価は、中間判断の一材料にはなるが、その最終評価は自分が決めるというテーゼを持つに至りました。
まして、人や物事は変化し続けます。
行いが悪かった人が誰よりも善行を重ねる人になったり、またその逆も然りです。
近い話では、ある少年が大人顔負けの犯罪を犯したが厳罰には処せられなかったというのは、青年は可塑性に富み、立派に更生することが多いという立法事実に立脚して制定された少年法という存在があるからです。
結論ですが、私は、物事を決めつけることは恐ろしいことだと思います。
また、そのような思考・判断はもったいないとも思っています。
素晴らしい出会いや知識・思考の獲得は、何の先入観も偏見のないところから始まるものだと思います。
押忍
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