2024年07月29日
今月、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)は十三回忌を迎えられました。早いものですね。
日程の都合により、6月末に、支部長のご実家を訪ねてお参りをさせていただきました。伺ったのは、支部長の大先輩に当たられる方と熊本支部の道場生4人でした。この4人は支部長の最も古い道場生でもありました。
ご家族といろいろ支部長の思い出話をさせていただきました。
この雑感において、いままで多くの支部長に関するお話を書いてきましたが、今回のお話は初めてさせていただくものです。
2012年の春、支部長ご自身、病名が分かられた時には、すでに病気が全身に広がっており、治療方法も限られたものになっておりました。
それまでに手術も経験され、また転院も何度かありました。
ある時、お見舞いに伺った際、支部長から直接病名を知らされました。私としてはなんとも返す言葉がありませんでした。
話を戻しますと、最後の転院先となった病院では、いわゆる緩和ケア期に入っていました。もう積極的な治療はありません。
そして、入院の際、担当となられた医師から尋ねられました。
「何か希望はありますか?」
その時、支部長はすぐさま答えられました。
「思考をとめないでください!」
「最後の最後まで考えるのをやめたくないのです!」と。
その医師は、
「・・・」
なにか感ずるものがあったそうです。
普通、緩和ケアとなると、患者の希望としては、「痛みを取ってほしい」「苦しいのは嫌だ」「夜中、よく眠れるようにしてください」などの要望が通常ではないでしょうか。
しかし、支部長にとりましては、人生というのは挑戦であり、努力そのものであったと思います。病気などに、ご自身のチャレンジを邪魔されたくなかったのだと思います。
実際、私がお見舞いに行かせていただくと、必ず枕元には、老子荘子その他の哲学書がありました。
また、空手や武道のお話も常に続けておられました。それはいつにもまして熱のこもったものでした。
私一人で行くときも、他の道場生が一緒のときにも、話題は武道や哲学が中心でありました。
それは最後の最後まで変わらないものでした。
印象に残っているのは、
「いままで歩んできて、武道に関してはかなり満足の行くレベルまで来ることができたと思う」
「死んだら、先生(先代館長のことです)に会えるかな?」
というお言葉でした。
先ほどの担当の医師の方は、入院時の質問のあと、日々医師として支部長を診るほかにも、時間があれば支部長の病室を訪ねられ、熱心に話し込むようになりました。
時が流れ、支部長の最後の一日となりました。
朝から、ご家族、我々道場生4人は、支部長のベッドの近くに控えて、その姿を見守っていました。
支部長はかなり呼吸が荒く、苦しそうでした。
それでも、私たちに何かを言いたい、訴えたいのでしょう、顔をベッド際にいる私たちに何度も向けておられました。
そして、夜になり、支部長は最期をお迎えになられました。
臨終を告げられたのは、くだんの医師の方でした。
その医師はご家族に、
「私は、山内さんとお会いできて良かったです」
「患者と医師という関係を超えて、山内さんから感銘を受けました。学ぶことができました」
「ありがとうございました」
と言っておられました。
命は有限です。
したがって、人格的発展にはいつしか限界がきます。
しかし、そのための努力は、幽明境を異にするまで続けるべきであり、続けることができるということを支部長から教わりました。
押忍
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