2015年06月05日
空手を習い、護身に役立てる。
当たり前の道理ですね。
護身術とは、謂れのない暴力に屈しない技術を身に着けることだと思います。
では、謂れの無い暴力をふるう人間の精神はどうなっているのでしょうか。怒り、憎しみ、興奮など、日常と違う心持ちでしょう。
次に、襲う人間は、相手をどうしたいのでしょうか。その最悪な目的は「殺してやる!」でしょう。
そのようなシチュエーションに遭遇した時に、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
自分を殺そうと襲ってくる人間を、どう処しますか。
殺意を持った人間は、素手で向かっては来ないでしょう。なにかしら凶器となるものを携えて迫ってくるでしょう。なので「三十六計逃げるに如かず」が一番です。
しかし、どうしても危難を避けられない時にはどうしましょう。
その相手を鮮やかに制圧して、警察に通報します…か?
それが出来れば最高です。
しかし、襲う側と襲われる側の精神状態にはあまりに差があるため、襲われる側は、自身の身を守ることはできないと思います。
それは、相手は自分を殺そうと思っていても、自分は自分を殺そうと思って襲ってくる相手を殺そうと思っていないからです。
普通の人間が普段、平穏な生活を送っているのに、いきなり相手を殺す気持ちで戦え!と言われても無理な話です。
そこに大きな心理の差があると思います。心理の差は行動に表れます。
殺意を持った人間は、思い切り相手に有形力を行使してくるでしょう。
そんな相手に対して、上手に護身術を使って、わが身を守り、かつ相手を制圧するなど難しすぎます。
もちろん、圧倒的な技量の差があれば、殺意を抱いて襲ってくる相手を、余裕でかわし、倒すことは可能でしょう。
しかし、その差がそれほどない場合(実際のところ、相手の技量など知る由もない)、つまり自分が多少相手よりも戦う技量が高くても、相手の殺意により、その差はなくなってしまうと思います。
それほどに精神の差というものは恐ろしいものだとと思います。
「あなたが私を殺そうとしているのなら、申し訳ないが、私もあなたを殺す気で立ち向かいます」という精神状態で、やっと互角ではないでしょうか。
……
空手を修行するというのは、その技術の修得もありますが、いざという時の自身の精神状態・・・普段のおおらかな、優しい、そして誰にでも思いやりを持って生活しようと心掛けている「この私」が、いざという時、瞬時に戦う男(もちろん女も)に変われるようになる精神を養うことも、その目的に入るのではないでしょうか。
さらに、
正しい心とは何なのか。
普遍的な正義はありえるのか。
このような疑問を持ちつつ、稽古を重ねることも必要だと思います。
なぜなら、空手の技術を使いこなす主人が「悪」ならば、それは世の中にとって、有害以外の何物でもないからです。
押忍
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