支部長雑感

心の美醜

2019年03月09日

90年代に云われていた「匿名化社会」というのは、地域社会の繋がりの希薄化、例えば隣に住んでいる人が誰なのかわからない等のことを指していたと思います。
この「匿名化社会」、現代こそがまさにその特徴を大きく表している時代だと感じます。現代の「匿名化」は、まさしくインターネットの普及によるものです。
すなわち、買い物をするのに人と会って話しをすることがなくなりました。また、言葉を外部に向け発信するのに、自らの顔を周囲やメディアに出す必要がなくなりました。

最近よく耳にする「SNS上での特定の人に対する批判」、「他国への中傷」、「ネットで炎上」など、そこに展開される人を攻撃する内容は、読んでいてもいい感じのするものではありません。

インターネット上での書き込みは、それぞれ好きなことを好きな表現で発言できます。
ネット上では、日常生活と同じような言葉が使われているのでしょうか。いいえ、それこそ遠慮のない、ダイレクトな、相手の気持ちを考えることのない、はっきりいうと汚い言葉が飛び交います。
あまりいい気分になることはありませんね。
もちろん、正しい主張や誠実な論評も当然たくさんありますが。

今回は、このような遠慮のない言葉を使うことの弊害をお話したいと思います。

人の言動に対する批判、それに伴う相手を攻める言葉遣い、これらを行うときの精神状態はどのようなものでしょうか。

汚い言葉を使う、これを使うことの恐ろしさは、相手を罵るという目的以外に、自分自身がその汚い言葉を平然と使うような人間になっていくというものです。直截的にいうと、良くない思考をする悪い人間になってしまうということです。

人は「言語で思考」します。
きれいな言葉を使う人、書く人は、きれいな思考ができる人です。つまりきれいな心の持ち主です。
逆に、汚い言葉を話す、汚い言葉をネットに書き込む人は、汚い考えを徐々に自分の心に醸成していく虞があると思います。
私は、これを恐ろしいことだと思っております。

気づかないうちに自分の心が汚れていく、荒んでいくというのを防止する、あるいは避けるには、やはり、普段より丁寧な言葉、優しい言葉、相手をいたわる言葉、相手が笑顔になるような言葉、そのような言葉を使うことが必要ではないでしょうか。
また、誰でも、時々心の中で良くないこと、例えば人の不幸を喜んでしまったり、他人を貶めたいなどと考えることがあります。
普通、それをすぐに「あー、いかん、いかん」と心の中で打ち消します。
この、良くない考えをすぐに打ち消すというのは、非常に大切な「心の作業」だと思います。


芦原会館の各支部は、先代館長や館長のご指導で、普段から道場生の間の言葉遣いには気をつけており、丁寧な言葉による会話を心掛けています。
より純粋な空手精神、正しい武道の心を養うには、きれいな言葉、ただしい言葉を使うことが必須であります。

山内文孝前支部長が、ご生前に話されたことがあります。
「真理は、探求すればするほど、きれいな言葉になる」と。
私も今なら、このお言葉は理解できるような気がします。

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