2023年11月22日
今年の6月に、以前お話しましたT先生の傘寿のお祝いが福岡で開かれました。
普段より先生と親しくされている20数名の方々が、先生のためにサプライズで開いたのでした。
私も参加させていただきました。
T先生が、広く世上の話題に載るようになって20年になんなんとしていますが、有名になられたのちでも、先生はその以前よりの姿勢、ご発言に変化がありません。
私は、そこを深く尊敬しております。
先生に関する興味深いお話として
その1
先生には数多くの本を書かれておられますが、ご自身の著書に対して、他の人の自由な引用を認めておられます。
著作権をまったく気にされておりません。
「引用、転載はご自由にどうぞ」と。
更に、先生は、ご自身のユーチューブでの映像や発言すら、他人に自由に使わせておられます。
これはすごく勇気のいることだと思います。
なぜなら、悪意ある編集で、先生のご主張とは正反対の意見に変えることも簡単だからです。
その2
ある団体が先生に講演を依頼した時、その団体の担当者が先生に、
「講演料は、○○○円でいかがでしょうか?」
すると先生は即答で、
「あー、結構ですよ」
またある時、他の団体が先生に、
「うちの団体は資金が少ないもので、誠に恐れ入りますが、先生へのご講演料は○○○円ではだめでしょうか?」
すると先生はまたまた即答で、
「あー、結構ですよ」
というように、変わらないお返事をされるのでした。
ところで、かつての中国に、数々の名言、逸話を遺された不世出の僧侶で趙州従諗(じょうしゅう・じゅうしん)という方がおられました。禅の最高到達点と云われた人物であります。
その方のお話に「喫茶去」(拙文2013年10月12日分参照)というものがあります。面白い、しかしとても難解で深いお話です。
この「喫茶去」に顕れるところの高度な思考方法(説明しづらく、単純にこうだと決めつけられない考え方ですが)を、学問一筋に歩まれてこられたT先生がこともなげに普通に実践されておられると、私は感じております。
失礼な言い方ですが、T先生は、おそらく普通の人には全く理解できないレベルの思慮・思想をお持ちの方だと思います。その証拠として、現在SNS等では、先生に対する多くの批判の記事を見かけます。前回の拙文にも書きましたが、人は自分が理解できない他人を認めることができないのです。
先生は、お若い頃から何度も大病を患ってこられました。私の勝手な推測ですが、生死をさまよう病床から学ばれた死生観が、先生をこのような達観の域に導いたのではないでしょうか。
大東流合気柔術の故佐川幸義先生も、幼少期に病弱であられて、そこから自己の心と技を見つめる気質を養われたと云われています。
何かしかの共通点があるのではないでしょうか。
「人に至る」アプローチは、人それぞれ、そしてたくさんあるのだと思います。もっとも、そこに至った者が得るであろう真理は一つであると思います。
例えるならば、
「頂きを目指して大きな山に挑むに、そのふもとに登り口はたくさんある。しかし、頂上に達するとそこは一点、すなわち全く同じ境地である。」
押忍
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