支部長雑感

陰徳を積む

2024年01月21日

禅宗の寺院においては、立場の上の方ほど、裏方の仕事をすることが多いそうです。
これは、人の見ていないところで精進できる人、すなわち修行の進んだ人ほど裏方の仕事をこなすことができるのだということを表しているのです。
たとえば、典座(てんぞ)という仕事があります。寺院で修行している僧たちの食事のお世話をする方のことです。これをそのお寺のいわゆる偉い人が担当します。他にも、東司(とうすと読みます。トイレのことです)の清掃をお寺の上役の人が行います。
これらの仕事を、ながらく修行を続けた方々が進んで、そして喜んで行います。
これにより、更なる陰徳を積むことができるのです。

武道の世界でも、たとえば、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と云われた不世出の柔道家木村政彦先生は、修行時代、昭和12年に全日本選士権を制した頃から、自らの心を戒めるため、当時住んでいた寮の便所掃除を自分の担当とし、進んで行うようになったそうです。
便所掃除を行うことによって「身も心も清められた」とのことです。


人が見ていないところで善い行いをするというのは、簡単ですか。
この忙しい、また事象が目まぐるしく移り変わる現代では、ますます難しくなっているのではないでしょうか。
しかし、誰も見ていないところでも、必ず二人からは見られ続けています。
すなわち、自分と神様(天、仏様など思いは人それぞれですが)です。
陰徳を積む作業を、おのれが見続けていて、その成長を評価してくれます。
また、私は、陰徳を積むことにより、自身の普段の態度のみならず、いつしか顔つき、声の感じ、身体から出る雰囲気までもが変わっていくものだと思っております。

逆の例えでいえば、誰も気づかないだろうと思い、陰で裏金を作ることを続けていた政治家は、使えるお金を積むことはできても、徳を積むことはできないと思います。
そのような政治家で構成されている政治団体には、「個人の尊厳」を最高の価値だとうたう正義の法、すなわち国の最高法規である日本国憲法を変えるべきだと主張する資格はないのではないでしょうか。

すみません。
またまた自らの三原則を破ってしまいました。


最後に。
「陰徳を積む」ことは、禅や空手などの修行だけでなく、人生の歩みにも直結していると思います。
普段から「目立つ表向きの仕事は他の人にしていただき、自分は誰からも評価されない仕事でも進んで、喜んでこなしていこう」、このような心を身につけると、いつしか人から信頼され、裏方の仕事ばかりでなく、重要な仕事を任せてもらえるような人になると思います。
いつのまにか、ごく自然に。

「あれ、こいつ、なんか今までと違うな!」
なにせ、顔や声が違ってきますから。

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