2022年08月30日
一
生まれるときは同じでも、最初から聡明な人もいれば、歳をとってようやくまともになる者もいる。おれはといえば、今、まともかと問われればその自信はないが、年とともに少しずつ物事を理解していくタイプの人間だと思う。
そうそう、子供のときは無鉄砲であった。
ある時、テレビで自衛隊の落下傘部隊の映像をみて感動し、家にある一番大きい傘を持ち出し、二階の窓から飛び降りたことがある。
傘くらいでフワリフワリと降りるわけもなく、勢いよく落ちたが、途中のひさしに引っかかり助かった。
たまたま下を通りかかったおやじが俺を見て笑った。
二
おれは高校一年の夏休み、北九州小倉の友人の家に泊まりに行った。
お坊ちゃんで育ったおれは、さすがに常識がない。友人の家に何のお土産も持たず、手ぶらで向かった。
熊本駅から国鉄で行った。
行く前、母に「小倉の友達の家に泊まりに行くので、お金ちょうだい」と頼んだ。
すると母は、五千円くれた。
人の家に泊まりに行くんだから何かもっていけ、とは言われなかった。
その頃、母は家業が忙しく、息子に気遣いなどする余裕はなかったのだろう。
熊本駅から小倉駅まで、特急で三千五百円ほどである。
持ち金と母からの小遣いを足して、往復料金を引けば千円くらいしか残らなかった。
しかし、気楽なもので、そのまま汽車に飛び乗った。
快適に汽車の旅を満喫し、駅に迎えに来てくれた友人に案内されて彼の家に行った。
当然、おうちにいた家族の方々にお土産はない。
夕方着いたので、夕食をごちそうになった。
家の人は、おれのことをなんと思っただろうか。
翌日朝から夕方まで友人と遊んだ。遊園地などに行った。
手持ちの千円では遊ぶのに全く足りない。帰りの汽車賃用に取っておいた金も使い果たし、更には友人から二千円借りてしまった。
三
帰る時間になった。
夕方の小倉駅に、友達二人が見送りに来てくれた。もう一人も同じ学校の友人であった。
が、帰りの汽車賃が、全く足りない。友人から借りようにも、彼らもすでにすっからかんだった。
「お金がないので、帰れん…」
「そうか…、どうする?」
「おれ、そんな時どうするか知っとるぞ」
「どうすっと?」
「無賃乗車ばして、着いた駅の改札を走って抜けるとたい」
「おー、そうするたい!」
「できるかな?」(こりゃバカだな)
「メチャクチャ早く走って逃げ切れば、駅員は諦めるよ」
アホな友人たちの提案に、アホなおれは乗ってしまった。
残りわずかなお金で、百二十円くらいの切符を買い、そして、小倉発熊本行き各駅停車に乗った。
鈍行なので、熊本駅まで三時間以上かかる。
無鉄砲だが元来性根が弱い男だったので、改札を駆け抜けて逃げ切る計画など、汽車に乗って三分もしないうちに頭のなかから消え去った。
時間がたっぷりあったので、いろいろ考えが頭の中を駆け巡った。
考えたのは「切符をなくしました作戦」だ。
鈍行列車はゆっくり南に向かって進んでいく。
辺りには夜のとばりがおりた。
ひとつひとつ駅に止まる。しかし、知らない駅名の駅ばかりだ。
福岡県を抜け、熊本県に入ると、かなり乗客の数が減ってきた。
蒸し暑く長い夏の夜の始まりである。
四
終点の熊本駅に近づいた時には、自分の周りには他の乗客は全くいなくなっていた。
おれが考えた作戦は、深夜の熊本駅には僅かな乗客しか降りてこないので、駅員さんはあまり怪しむことをせず「切符をなくしました」と申し出れば「仕方ありませんね。次回からお気をつけ下さい」と言って、おれを開放くれるはずだ、というものだった。
十一時をまわった頃、熊本駅に着いた。案の定、降りる人はまばらだった。
おれは、すべての人が改札を通ってしまった後で、改札の横にある精算所に向かった。
いよいよ作戦開始だ。
「あのう、切符を失くしてしまいました」
精算所の駅員は小柄な人だった。まだいくぶん若い。
「ポケットの中を調べましたか」と聞いてきた。あくまで事務的に、しかし、丁寧な感じの人であった。
精算所のカウンターにポケットの中身を並べたが、当たり前だが持ち物はほとんどない。お金ももちろんない。
「座っていたのはどこらですか。見に行きましょう」
終点なのでそこに停留している車両に入り、あるわけもない切符を一緒に探してくれた。おれもポーズで探すふりをした。
「ないですね」係の人はあくまで事務的だった。
二人で精算所の前に戻ると、駅員は誰かに連絡を始めた。
なかなか許してくれるような雰囲気ではない。
「こんばんは」
現れたのは鉄道公安官であった。身体の大きい、顔もごつい人であった。しかし表情は柔らかかった。
「こっちへ」
ついて歩く間、気になって目に入っていたのは公安官の腰のピストルだった。大柄な体格に鉄道公安官の制服は似合っていた。
連れて行かれたのは鉄道公安室であった。
五
いよいよこれは大変だ。
無賃乗車がバレる。
公安官はおれの住所や名前を聞いてきた。
無賃乗車がバレるのは怖いが、ニセの名前は言えない。本名は言ったが、住所は北九州の友人の住所を騙った。
「熊本に知り合いはいますか?」
丁寧な言葉で公安官は話しかけてきた。
「はい……(どうしよう)。
……(そうだ!)熊本には叔父さんと叔母さんがいますッ!」
今度は自分の家の住所なのでスラスラと答えた。
ニセの叔父の名、叔母の名は両親の名なのでこれもスラスラ出た。
「叔父さん達に連絡しましょう」と公安官。
電話越しに、両親はなんと返答したのかわからない。
「叔父さん達はすぐに来られるそうですよ」あくまで公安官は丁寧だ。
六
おれはあたえられた丸椅子に座って待った。
鉄道公安室などよほどのことがない限り入ることはない。辺りを見渡すと、市中の交番の中の様子に似ていた。当たり前だ。
三十分ほどで両親は来た。
公安室の入り口に立ち、部屋の奥にいるおれを見つけた。
すぐさまおれは右手を挙げながら笑顔を作った。
「(ええい、どうにでもなれ)やあッ!叔父さんッ、叔母さんッ、わざわざすみません!」
挨拶をしたおれに対し、
おやじは「!!!」
何も言わず、あまり大きくない目をカッと見開き睨みつけてきた。
母は「……」
体が文字通りオロオロとふるえて、あまり大きくない目をさらに小さくしてしまった。
あとで母が言うには、自分を叔母と呼ぶなんて、息子は頭がおかしくなったと思ったそうだ。
公安官は何も言わず、先ほどの精算所の係の人を呼んだ。
精算所の係の人はあくまで事務的に、両親におれの乗車した汽車賃を請求した。
母が払ってくれた。
おれは開放された。
最後は、公安官も駅員も笑顔でおれを送り出してくれた。
おやじの車で家に向かった。
おやじは何も言わなかった。母も何も言わなかった。
家に着いた。
おれは遅い夕食をもらって食べた。
七
いかにも年若で分別もない男、着ている服もTシャツ一枚、ほとんど持ち物も持っていない。それが遠くから各駅停車に乗って駅に着き「切符がない」という。
大人はすべてわかった上で、この愚かなバカ坊っちゃんの話を聞いてくれ、付き合ってくれ、最後はとがめることもなく送り出す。
知らぬは本人ばかりなり、といったところだったろう。
年数が経ち、おれは気付いた。
明らかに嘘をついて窮地に陥ってワナワナしている子供に対して、大人が大人の対応をして、しかもそれをその者に気付かせないような雰囲気を作った。
ずっとずっと後になって気付いたのだ。
「知る」を知ってると言うのは普通で平凡だ。「知る」を知らないふりをして人に変わらぬように接するのが真に「知る」を理解している者であろう。
おれはバカ坊っちゃんであった。
そんな男も今や家庭を持ち、仕事をし、一応社会の中で生きている。
今でも相変わらず物事に対する理解は遅いが、この熊本駅での出来事は理解できていると思う。
……
このお話は、今から5年前の2017年10月26日分の再掲です。
私は、来月60歳になります。
高校生であった「バカ坊っちゃん」が齢六〇になる。
果たして人並みにまた年相応に成長できたのか、甚だ疑問であります。
しかし、「バカ坊っちゃん」でも、バカ坊っちゃんなりの努力を続けていけば、いつの日か、今私はこれこれこのくらいのことをやっていますと言える日がくるのではないでしょうか。
それを信じて、現在日々の暮らしを続けています。
押忍
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