2022年10月01日
1991年4月に、あるアクシデントで眼を怪我した私は、手術のため入院、そして自宅療養と、しばらく道場に行けず稽古を休んでいました。
翌5月のある日、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)が、突然、私の自宅を訪ねてこられました。
支部長は、私に眼の具合を尋ねられたり、他にもいろいろなお話をされました。
そして、帰られる際、最後に、これから先空手ができるかどうか分からない私に、このように言われました。
「瀬野がこれから空手を続けられるかどうかは分からない。それは、お前の考え方、決断次第だ。しかし、俺はお前を『道の友』として、一生の付き合いをしていくつもりだ」
武道家としてだけでなく、日常生活を送る上で大切な眼に怪我を負い、空手を継続するかどうか、まさに迷っていた時期でした。
結果として、この支部長のお言葉に励まされ、私は空手を続けることができました。
今となっては、支部長には感謝しかありません。
その後も、支部長は、よく「道の友」という言葉を使われました。
対象となる具体的な個人に向けて言われたのではなく、志を同じくする者同士は「道の友」なのだ、という比喩で話されることが多かったです。
この一連の出来事に影響を受けた私は、道場で指導する立場になった後、たとえば悩みを抱えている感じの道場生に対して、同じく「君と僕とは『道の友』なのだから」などと話しかけるようになりました。
師、先輩、後輩、年上、年下等、道場ではそれぞれ立場があります。
たまたま入門が先であっただけで先輩です。また、動かしようのないものに年齢があります。
そのような立場の違いにあって、なかには威張る人もいることでしょう。
しかし、それは間違いだと思います。
「道を同じくする」という、たった一つの共通点、しかしとても大切な価値によって結ばれている者たちに、上下左右はありません。
そこには、「道の友」という仲間がいるだけです。
押忍
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