支部長雑感

悪筆

2023年10月20日

以前、源清麿という刀鍛冶のお話をいたしました。
天才といわれた刀匠でしたが、その波乱万丈な人生を語るに、いかにも破天荒な人物のように扱われます。

しかし、彼の生み出した作品の、その刀に彫られた自身の名を刻んだ銘振りを見ると、そのような人物ではなかったことが窺えます。

例えば、清麿が恩人である幕臣窪田清音のために鍛えた刀には、
「為窪田清音君山浦環源清麿製」
という銘が、非常な丁寧さを示して刻まれています。
この刀は、現在、国により重要美術品に指定されております。

この他、「清麿大鑑」などで確認することのできる多くの清麿銘を見るに、真面目な、端正な、丁寧な、正確な銘振りばかりなのです。
ということは、清麿という人物は、世上で云われるような破れかぶれな人物ではないということです。

源清麿は、おそらく古今東西の刀匠のなかで、その銘の切り方だけとっても、後進の刀工に最も影響を与えた人物であろうと思われます。

「書は人なり」です。
これは絶対然りの言葉だと思います。


変わりまして。
前回の雑感で、「最初に入ったこの大学」と書きましたが、それは、その後、あらためて別の大学に入り直したからです。
今度は、本当に希望した大学でした。

そこでのお話です。
ある年度の学年試験のことです。
それは、刑事訴訟法の試験でした。
この講義の担当教授は、刑訴法において日本の第一人者であられました。

試験日、そして、試験時間がきました。
問題用紙が配られました。

「!!!」

も、も、問題が読めません。
そうです、ものすごい悪筆だったのです。
その当時、学部試験の問題文は、手書きと印刷文字が混在していましたが、それにしても、問題の読めなかった試験は後にも先にもこれだけでした。

もちろん、その後、時間をかけてなんとか読むことができて、答案も書くことができました。
とにかく焦りました。

だが、この一件で、私は悟りました。
間違いなく悟ったのです。
それは、自分の書く字がきれいでなくて良いのだと。

とは言うものの、その道の権威であられる方が書けば、それがどんな字で書かれようが世間に認められますが、私のような一介の平凡やが「字はきれいでなくて良いんだ」といっても通用しません。

しかし、前述の清麿の銘を見るに、己が自身そのものをあらわす文字というものを大切に扱い、真面目に、誠実に、そして丹精込めて書けば、他人がどのように見ようが、分かる人には分かる「私の人格」を表現することができるということ悟りました。

それが確信できた二人の人物の書いた「自筆」でした。

押忍

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