支部長雑感

金銀と品格

2025年07月26日

芦原会館の師範代に、神戸支部長のN先輩という方がおられます。
先代館長以来の古い先輩であります。
私は、この方の高い実力、ご人格に常々敬意をもっておりました。

今回、N先輩に関して、強い印象を受けた出来事をお話いたします。
それは、昨年、愛媛県武道館で行われた芦原会館全日本大会でのことでした。

N先輩も私も大会スタッフとして、いろいろ運営に関して会場内を動き回っていました。
大会が始まりその試合進行の合間、トイレに行きたくなった私は、試合場を出ました。
と、トイレに向かう私の少し前をN先輩が歩いておられました。私にとりましてかなり先輩にあたる方ですので、声など掛けることはできず、そのまま先輩のあとを歩いていました。
「・・・」
後ろに私が歩いていることなど、先輩は気づいておられません。
歩かれている方向からすると、N先輩もトイレのようです。

ほどなく、トイレの入り口に着きました。
当然ですが、トイレの入り口にはスリッパがおいてありました。
その10足ほどのスリッパは、それはもうあちこちに脱ぎ散らかされていました。
先にN先輩がトイレに入ろうとされました。
その時、先輩は当たり前のように、そのスリッパを、腰をかがめて手で並べ始めました。そして、並べ終わるとトイレに入っていかれました。
「!!!」
私は、びっくりしました。

私も、以前より、トイレなどに入ったあとは丁寧にスリッパを揃えて出て行ってはいましたが、入る前に散らかっているスリッパを並べなおしたという記憶はありません。
したがって、このN先輩の何気ない行動には、衝撃を受けました。
「そんなことするのは当たり前だろ」
と思われる方もいることでしょう。
それでも私は現実としてびっくりしたのです。それほどN先輩の行動は自然だったのです。

数十年にわたる空手修行のはて、立ち居振る舞いもご立派で、立場上人からも尊敬される方が、人の見ていないところで、このようなことをされているとは。
人間の品格というのは、このような何気ない行動に現れるのではないでしょうか。


話は変わります。
昨年秋に、ある本を読みました。
「占領神話の崩壊」(西鋭夫・岡崎匡史 2024年7月25日初版発行 中公文庫)という本です。
この本には、西先生らがスタンフォード大学フーヴァー研究所にある膨大な蔵書を読み解き、終戦混乱期の日本において活躍した多くの人物がその史実に基づいて登場しています。
その中で、私が特に印象深く読んだ個所があります。

それは、一般に、荒廃した日本の再興のために戦後GHQと堂々と渡り合ったと評価されている白洲次郎に関する話です。
引用します。

「吉田茂の側近として毎夜権力の甘い香りを嗅いでいた白洲次郎は、名誉に飢えていた。崇められたいと熱望するが、自分で成し遂げた業績がないため、己の中に誇れるものが育っていない。人格の大黒柱となる確固なプライドもない。
(中略)
国家機密を暴露してまで、犯罪行為を犯してまで、目立ちたかった品性のない人だった。貧しい日本で富豪として育ったハンサムな白洲は、金銀と品格の間に渡り廊下がないことを我々に教えてくれた。」(305ページ)

もちろん私は薄学にして、白洲次郎に関しての自身の見解を持ち合わせていません。
ただ、該書のこの部分で、私が強調したいのは「金銀と品格の間に渡り廊下がない」ということです。


どんなに裕福でも、どんなに高学歴でも、とかく偉いと云われる職業に就いていても、こと人格若しくは品格を備えることは、至極至難の境地であります。
それこそお金があっても買えません。
これらは、N先輩のように、人の見ていないところで徳を積むような行為を、それこそさらっとできるような人間になれるよう研鑽を続けなければ、とても獲得できないものだと思います。

はるか後ろを歩んでいる私も、人生続く限り、少しでも品格を備えられる人間になれるよう修行を続けていきたいと切に願っています。

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