2025年08月28日
8月24日に、芦原会館九州北地区の昇級審査会がありました。
そして、審査終了後、館長にご指導をいただく恒例の「館長稽古」もありました。
その際のお話で、館長は道場生に向かい、「自分は空手が仕事なので、それなりの稽古を積んできました。皆さんは勉強やお仕事をされながら空手をしている方が多いと思います。なので、なるべくできる範囲で稽古を続けてください。」とおっしゃられました。
館長がなにを言われたいのかと申しますと、それぞれの気持ちで「生涯武道」を続けてくださいということなのです。
私は、芦原会館に1987年7月に入門しましたので、空手を始めて38年になります。
同九州北地区にも、私同様に長く芦原空手を続けている方がたくさんおられます。
館長の説いておられる「生涯武道」、まったく同感です。私はこれからも空手修行に邁進していきたいと思っております。
しかし、道場に通う少年部や一般部の方々を見ますと、数か月若しくは1年くらいで会館を辞める方も多いです。
そのような方の空手を学んだ期間というのは短かったのでしょうか。
いいえ、およそ人が持つ価値というのは人それぞれですので、その長さには基準がないと思います。
常日頃、道場で私は、「空手なんて長くやるもんじゃないよ」とか、「長く空手をやっている奴は変わり者だよ」などと軽口をたたいております。
本心としては、空手を学ぼうと思って道場の門を叩いたのですから、黒帯を取るまではなんとか頑張って欲しいと思っております。
しかし、途中で何らかの理由で辞めなければならなくなっても、それは全然構いません。
途中で辞めようが、永らく続けようが、価値は同じです。
「長くやっているから偉いのだ」というのは、まったくの錯覚です。
その方のその期間で、何かを学ぶことができれば、それはそれで十分な期間の学びとなると思います。
また、芦原空手が肌に合わなかったとか、空手そのものが嫌になられたというのもあるかと思います。
そのような理由で辞めたにもかかわらず、できなかった自分を責めたり、負い目に感じたりするのはすごくもったいないです。
何度も言いますが、空手を長年続けることがそんなに偉くはないと私は思います。
その方の価値と空手の上達とは、まったく無関係なのです。
さらに、一度道着に袖を通した経験があるのならば、辞めたのちに問われた際、
「僕も空手をやったことがあるよ」
「わたしは空手でいろいろなことを学びました」
と胸を張って言っていただきたいと思います。
何かを一生懸命努力することが大切なのだと思います。
もっと突き詰めると、努力という事柄でさえ、それほど重要なものではないのかもしれません。
生きていくこと、それこそがとても大事なことだと考えます。
押忍
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