支部長雑感

コーヒーカップ

2016年05月16日

熊本地震で被害に遭われた方は、数知れません。
未だに多くの人たちが避難生活をされています。

そのような中、こんな話をするのはどうかと思いましたが、私の心の中の変化として、読んでいただければと思います。

4月14日の前震、16日の本震ともに私は家族と自宅にいました。
14日前震の時、夕食後のひとときでした。
突然、大きな衝撃とその後の強い揺れを感じました。衝撃を感じた瞬間、食器棚のグラスや皿が、弾丸のように棚を突き破り飛び出し、そして砕け散りました。
16日本震の時は寝ておりました。経験したことのない強烈な揺れがきました。その後、揺れが収まり、そして停電が解消された後、リビングを見渡しました。
前震で6~7割の食器が割れておりましたが、本震で残りのグラスや皿の9割以上が割れていました。
もちろん、家具や台所、家電など調度品の多くも壊れました。
住んでいるマンション自体もかなりの損壊を受けました。

避難して4~5日の車中泊を経て、自宅に戻り、室内の片付けを始めました。
妻が洋食器を集めるのが趣味でしたので、ほとんど割れてしまったお気に入りの皿を見てショックであったろうと思います。
気の毒でしたが、家族の無事が一番ですので、私はがっかりしませんでした。

自宅に戻って数日が経ちました。水道の回復、そしてガスの復旧と徐々に生活の形も戻ってきました。

片付けが進むにつれ、割れた皿の中に、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)から頂いたお皿や湯飲み、そして花瓶など、たくさんの支部長作の焼き物が含まれていることに気が付きました。

「高級洋食器 VS 支部長作品」
私の価値観では比べ物になりません。ショックでした。

震災後、3週間ほどは、食事は紙皿、紙コップで過ごしました。
その後、やっと家が片付き、普通の食器で食事をすることを欲するようになってきました。

そのような状況の中、ご生前に支部長から頂いた焼き物は数多くありましたので、幸い、いくつかのお皿や湯飲みなどが不揃いではありますが生き残っていました(その中には、以前ご紹介しました「辛抱ばい」茶碗もあります)。


……
支部長からは、その時々に、色々焼き物を頂きました。わたしは焼き物に全く興味がありません。しかし、支部長からのお品は、それだけで私の宝物でした。
こんにちまで、頂いた焼き物は食器棚の奥に大事にしまって、ほとんど使うことがありませんでした。
以前、よく妻から言われました。
「せっかく頂いたのだから、使えば?」と。
私は、「師弟関係が分かってないなあ、使えないよ~」などと反論していました。
なので、相変わらず使わずじまいでした。

ところが、皮肉にも、家の食器がほとんど割れてなくなった現在、支部長の作られたお皿や茶碗が、我が家のテーブルにいつも登場するようになったのです。
こうして、支部長の焼き物を日常で使うことが、私の心の中でごく自然になったのです。

今朝も支部長作のコーヒーカップで目覚めのコーヒーを頂きました。
支部長もきっとニヤリとされていることでしょう。

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M君

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