支部長雑感

八幡浜道場再び

2016年07月06日

以前、八幡浜道場の稽古風景を少しご紹介しました。その続きです。
空手ファンの方々ならば御存知の通り、八幡浜道場は芦原空手発祥の地であります。

1970年6月、先代館長が25歳(お若い!)の時建てられたものです。
現在では考えられない行動力だと思います。ただ一人、東京から四国に乗り込み、たった3年で自らの城を築かれました。

この道場はJR八幡浜駅を降りて徒歩で2~3分のとても良い場所にあります。
私も数回、夏の合宿に向かう途中に立ち寄り、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)が八幡浜支部の方に連絡されて道場を開けてもらい、そして稽古をさせて頂きました。
道場の床や壁はとても頑丈な作りになっていました。そして、先代館長ご考案のサンドバックを吊るす器具、オリジナル巻きわらやウェイトマシンなど、現在でもそうそうお目にかかれない装備を配した素晴らしい道場でありました。

支部長はここで修行されました。1970年代のお話です。ご生前、その時の思い出話をよく聞かせていただきました。

「火木土(記憶違いで月水金かもしれません)の稽古日で、木曜が組手の日なんだよ。組手では、先生(先代館長のことです)や黒帯の先輩方が元立ちをされてね。先生よりも先輩方と組手をする方がはるかに怖かったよ。先生は手加減してくださるけど、先輩方は容赦無いから…。こちらが向かっていくとその数倍の勢いで返してこられるんだ。思いっきり蹴られ、その衝撃と言ったら『俺を殺す気か』と思ったくらいだからね」

「先生はね、稽古のない日に道場生たちが1階で自主トレなんかしていると、そこで響いているサンドバックなどのトレーニングの音を、2階で聞かれているんだよ。そして、中途半端な稽古をしていると、ダダダッと階段を降りてこられて『こらー、そんな稽古ならするな!もう帰れ!』と怒るんだよ」

「ある日、自主トレで鏡の前でヌンチャクを練習していたんだ。そうしたら、つないでいる紐が切れて片方のヌンチャク棒がすごい勢いで飛んでいき、鏡と鏡の間の壁にガンッとぶつかり穴が空いたんだよ。先生に謝りに行ったら、笑って許してくださったよ」

「(また違う)ある日、稽古が休みの日に自主練習しようと道場に入ったら、先生がおられてね。『おい、山内!いまから写真を撮るぞ。何か技を出せ!』とおっしゃられたんだ。そこで俺は、飛び蹴りを披露したんだ。それが先生の本『流浪空手』に載ってね。しかし、実はその直前にランニングで20キロほど走ってきたばかりで、技的にはあまり良い出来ではなかったんだ」(わたしには十分すぎるほどすごい飛び蹴りに見えます)

ところで、当時の若い道場生たちは、空手に対する有り余る情熱と思春期の生理的煩悶の狭間で葛藤し、それを克服して成長していきました。
というと格好良いのですが、いろいろ面白い行動をとられる方々もおられたようです。
たとえば、当時の稽古は夕方6時台に始まり、終わりは11時頃になっていたそうですが、ある道場生はその5時間もの猛稽古をこなされた後、道場を出ると、今までの疲労もなんのその、皆に黙ってそのまま車に乗り込み、長駆松山まで繰り出して夜の街を楽しまれたのです。高速道路のない当時は八幡浜から松山まで2~3時間はかかったのではないでしょうか。そして、朝方に八幡浜まで帰って、そのまま仕事に向かわれたそうです。
いや~すごい!

……
最後はちょっとふざけてしまいすみません。
しかし、われわれ芦原会館門下生にとって、八幡浜道場は永遠に憧れの場所であり続けます。

押忍

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2016年04月30日

あらためて、ありがとうございました

2016年04月27日

ありがとうございました

2016年04月13日

M君

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