支部長雑感

偶然の一致

2025年01月01日

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます


この雑感で、以前「T先生」と呼ばせていただいていた方ですが、先の参議院選挙を経て、市井に戻ってこられましたので、武田邦彦先生と実名で書かせていただきたいと思います。原子力や資源材料学がご専門の科学者であられます。現在まで毎年数多くの著書を出されておられます。

先生は2000年代半ば頃からネット上にブログを書かれており、私も2011年4月に初めてお会いしてから、さかのぼって先生のブログを読み始めました。
その後、インターネットの発展にともない、当初文字で書かれていたブログも、音声そして映像のそれに移っていかれたのは自然の流れでしょう。
テレビでもレギュラー番組を数多くお持ちになり、近年ではユーチューブにそのご活躍を移されつつあります。
そしてこの先生の一連の行動は、多くの人々に多大な影響を与えられています。
とくに、何が正義か、人としていかに生きるか、どのように生きれば幸せなのかなどを強く訴え続けておられます。

話は変わりますが、一昨年の拙文「支部長雑感」にて、私は自分の友人宛に書いた手紙のことを載せました(2023年11月13日分)。
それには、
「・・・簡単に言うと、『人はみな同じ。人はみな違う。』です。
普通、理解することと共感することは近接しています。
人は、自分が理解できない他人を嫌います。
しかし、僕は自分が理解できない人に対しても共感ができます。
これは、僕の唯一とも言って良い長所です。
僕はこうやって生きてきましたし、これからもこのまま生きていくと思います。」
と書きました。

この文章を雑感に載せた数日後、たまたま武田先生の古いブログを読んでいたところ、以下の文章を見つけました。
「僕は自分の理解できない人間にも共感できます」
この文章について先生のブログのアーカイブがわからなくなってしまい、書かれた年月日をお示しできないのが残念ですが、間違いなくこのお言葉がありました。

びっくりしました。
先生のお言葉をコピーしたわけではありません。
本当にたまたま、偶然に同じ文章になっていたのです。

この出来事から思ったことは、人が人生を歩む上での「気づき」には多くの共通するものがあるのだということです。

これも以前の雑感で書いたことですが、かつて先生に、禅についてお尋ねしたところ、そのご経験はないとのことでした。
しかしそれと同位、いやそれ以上の修行をご自身の人生において続けておられるのだと拝察しております。
何が言いたいのかというと、先生の言動には紛れもなく禅味が顕われております。

私も30数年、禅の修行を続けております。
禅で学べた特徴的なものとして、相対的思考があります。友人宛に書いたこの文章がその考えの現れるところの一つと言っていいと思います。

先生の相対的思考にははるかに及ばないのですが、右のような先生とほぼ同じ文章が書けたことは、とても嬉しいことでした。

私も年齢が上がってきましたが、殊、人生の経験ということでは、まだまだ武田先生を始め先達の方々には遥かに及びません。
しかし、今回お話した「文章の偶然の一致」は、自分なりの「気づき」を重ねることで、先生・先達の方々が見ておられる「人、物事、真理の景色」をいつしか観ることができるのではないかと思うことができた出来事でした。

自称「サボりの天才」である私ではありますが、元旦にあたって、今年はなんとか努力ができたと言える年にしたいと願いました。

押忍