2021年07月02日
芦原会館熊本支部は1986年から2000年春まで、旧帯山中学校体育館を使用しておりました。
そして、その頃の熊本支部の会員数は、時期により多かったり少なかったりしました。
今回は当時の思い出話です。
1988年秋、私が茶帯だった頃のある稽古の日、いつものように道場に早めに行き準備運動などをしていました。
稽古時間になりました。
しかし、誰も来ません。
「あれー」
こんなことは今までなかったので不思議な気持ちで自主稽古を続けていました。
それから少しして、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)が来られました。
「他に誰もいないのか?」
「押忍」
「そうか。稽古始めるぞ」
支部長は何の躊躇もなく稽古に向かわれました。
今夜はマン・ツー・マンの稽古となりました。
二人で基本稽古をこなしてからは、休むまもなくミットトレーニングに移りました。
支部長がミットを持ち、私が蹴りを行いました。
長い時間、蹴り続けました。
それは延々と続きました。
支部長の檄が飛びます。
「もっと蹴り足を返せ!」
「膝をたためっ!」
「相手に自分の背中を見せるくらい身体を回せ!」
この時の支部長のおっしゃった内容はよく覚えております。
蹴りに関して今となっては常識の技術説明ですが、その当時の私には、支部長のご指摘がひとつ、ひとつ、理をもって心に響いてきました。
しかしながら、いつまで続くのか。
繰り返しになりますが、それは延々と続きました。
息が続きません。
終いに私はクタクタで動けなくなりました。
「今夜はこれで終わりだ。休憩してていいぞ」
支部長はこう言われると、その後はご自分の稽古を始められました。
私は疲れ果てて、座って支部長の稽古を見ていました。
だが、それからがすごかった。
支部長の自主トレは、私の「延々」とは段違いに延々と続く稽古でした。
シャドーで仮想敵を見立てて動きを続けられたのですが、時間が経つにつれて激しさが増し、気合を入れる声も大きくなり、それは凄まじいものでした。
そして、果てしなく延々と続いたシャドーの果て、支部長は文字通り倒れられてしまいました。
今でも、倒れられる瞬間の場面は鮮明に覚えています。
八幡浜道場時代の先代館長の直弟子の方々は、こんな稽古をされておられたのだなあと感じ入りました。
……
この日の稽古は、私に強い印象を与えてくれました。
後日、この夜の激しい支部長の稽古のことを、後輩たちに興奮気味に話したものでした。
それから季節がめぐり何年も経ちました。
ある後輩が稽古のため道場に来た時の話です。
道場の駐車場に車を停めると、そこには支部長の車しかありません。
その後輩は、
「なんか、嫌な予感がしたんですよ」
「それで、体育館の横の小さい窓あるでしょ。そこをちょろっと開けて中を見たんですよ。すると、支部長がお一人で稽古をされていたんですよー」
「それで僕、そーっと窓を締めて、車に乗り込みブワーーッと帰っちゃいましたぁ!」
かつての私の話を思い出して、その後輩は恐れをなしたのでしょう。
やれやれ、マン・ツー・マンでご指導頂く機会を逃して、惜しいことをしたと思ったのは私だけでしょうか(苦笑)。
押忍
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