支部長雑感

どこにでもいる人 

2021年11月20日

昇進、当選、果ては大出世など、今までの立場から一転して環境が変わったり、周りの状況が変化したりすると、自身の人間性が変わったりする人がいます。
また、官僚、公権力行使等地方公務員、会社の上司や先輩、スポーツや武道団体の指導者、果ては家庭内での強い立場の人など、その中には、自分より下の人にきつい口調で命令、通達、指示、あるいは叱責などをしたりする人がいます。いいえ、もっとひどい汚い言葉を浴びせてくる人もいます。

立場の弱い人は、普段、上の人に対して気持ちのままの返答はできません。
つらい日常です。
そのような時に、更に上から強くモノを言われます。
これは、二重の辛さです。

では、このようなきつい態度を他人に示す人は、優れた人格を持った人なのでしょうか。
私は決して、そのようには思えません。
努力や苦労を重ねた方は、万事において瞬時に周りのことが見渡せます。相手の心が分かります。
そのような方は、人を責めません。

断言させていただくと、人に対して辛く当たる人、あるいは人に辛く当たっているのが分からずにひどい態度をとる人は、人として甚だ未熟であり、人の心が分からない人であり、人格的に劣った人だと言えます。

ここで、芦原英幸先代館長のお言葉を引用させていただきます。
館長の初の自叙伝「流浪空手」(スポーツライフ社 1981年11月10日初版)で、語られていたものです。
まず、そのお言葉が発せられた背景をお話いたします。

先代館長は、芦原会館を立ち上げられるずっと前の20歳代前半に、実戦空手界最大流派の団体で総本部指導員を務められていました。そしてある時、不祥事を起こしたことが原因で、該団体から禁足処分を言い渡されました。
先代館長は、不祥事に対する反省と自戒の態度を表すため、廃品回収業を始めました。
これを、ご自身を見つめ直す「よすが」とされたのです。
その頃の廃品回収は、現在のトラックで集めるのとは違い、自らがリヤカーを引いて廃品を集めるというものでした。
その仕事を行うことが、すなわち、相当な辛酸を嘗めることになるだろうことは容易に想像できるものでした。
しかし、それは逆に、人の心の奥底が分かる、学べる仕事でもありました。
先代館長は、工事現場や職場、お家などを回り、頭を下げて廃品を集めました。
そこで先代館長がお感じになられたことは、それは廃品を出す側の人たちの態度でした。

以下、少し長くなりますが、引用いたします。

……
ビル建設中の工事現場での出来事であった。前を通りかかると、現場監督が私を呼び止め「これを持っていっていい」という。鉄パイプや仮設用の柱を縛りつけるバンセンの屑であった。
喜んでリヤカーに積んでいると、いきなり後ろから怒鳴られた。
「馬鹿たれ!泥棒……」
現場の作業員であった。私は思わず振り向いたが、相手はかなりカッカしていた。無論、監督の承認を得てやっていたことであったので、騒ぎはそう大きくならずにすんだ。
こんなケースはままあったが、この仕事をして学んだものは、人情の大切さに加えて、弱く、心にゆとりのない人間ほど去勢を張りたがるということであった。これは、どこに行っても同じことがいえた。大したことでもないのに大声を張り上げ、いかにも自分が優位にあることを他人に見せたがる。彼らは自分のことばかりを考え、自分中心にものごとを判断し、他人を思いやるということをまるで知らなかった。
(中略)
言葉の端々からそれを感じたとき、私の背筋を冷たいものが走った。
(88~89頁)

……
弟子の末席にいた私が言うのもなんですが、読み返すたびに感じ入ります。
思いますに、先代館長の著書に出てくるような人はどこにでもいます。
おそらくこの拙文を読んで頂いている方も、いろいろな場面で、人の気持ちが分からないような人と対峙されたことがおありだと思います。
やはり、そのような人はどこにでもいます。

私は、今回お話したような、この、どこにでもいるような人にだけはなりたくありません。
市井にあって、忙しく目まぐるしい日常にあってもなお、人の気持ちが分かる、人の気持に共感できる人になりたいと思います。

押忍