2021年09月04日
古今東西、日本刀で最も人気がある刀工は、おそらく源清麿(みなもとのきよまろ、本名は山浦環、信州生まれ、江戸にて作刀)でしょう。
バブル期には、清麿の値段は億を超えていました。いまでも数千万円は下りません。
清麿は、刀の時代区分では「新々刀」に属しており、江戸時代末期の刀匠です。清麿の刀の特徴としては、その地鉄・刃ともに抜群の働きがあり、またその刀姿は、他の刀匠にはない、独特で、しかしとても美しく魅力的な造り込みを呈しております。更に、日本刀の本来の目的である切れ味に関しては、最上大業物の呼び声も高かったです。
清麿の作刀場は江戸四谷にあり、「四谷正宗」の異名で呼ばれることもありました。
伝えられているエピソードとして、勤王思想の刀匠であった、実兄も有名な刀工であった、新選組隊長近藤勇の愛刀虎徹は偽物で実は清麿作であった、抱えていた多くの作刀注文を放り出して長州に奔走してしまった、後悔して江戸に戻ってきて更なる名作を作り続けた、美男子であった、大酒飲みであった、多くの弟子を育ててその弟子のいずれもが刀工として名を成した、清麿の傑作が明治期に入って三菱財閥岩崎家の至宝のひとつになった等、とても多くの逸話が残っております。
出自も含めて、これほど話題の多い刀工も他にはいません。
清麿ほどの高額にのぼる巨匠の刀が、おいそれと市中に出回ることはありません。然るべき人のもとで大事に眠っております。
刀剣店の店頭に並ぶこともありません。極くまれに売りに出されたとしても、これまた然るべき人のところに、即座に静かに移っていくだけです。
それでも愛刀家は清麿を手に入れるために東奔西走します。
そして、そのような気持ちを利用する形で、巷には非常に多くの偽物、贋作が横行しております。正真と鑑定され、本物間違い無しの折り紙つきの中にも多くの偽物が存在します。専門家が誤るほどのとても巧妙な偽物があるのです。清麿の作刀を数多く調べた権威ある専門書がありますが、その中にも偽物が混じっているとのことです。
……
さて、本題です。
1980年代後半のこと、ある日、宝石貴金属を扱う会社の社長であるS氏が、私が役員を務めている会社にやってきました。S氏とは以前よりお付き合いがありました。
しばらく二人で世間話などしておりました。
とそこへ、また別の来客がありました。
熊本県北にて、いろいろなビジネスを手掛けておられるK氏でした。結婚式場や刀剣店などを経営されているとのことでした。K氏とは面識程度の間柄でした。
しばらく3人で話をしているうちに、ふと刀の話になりました。
私は刀を1本も持っていませんでしたが、武道好きな者として日本刀にはとても興味がありました。
話の中で、私はK氏に刀を買わないかと持ちかけられました。
K氏「実は今、清麿があるんですよ。」
私「はあ~、きよまろ…ですか?」
私は、刀工の名前など一人も知りません。清麿などと聞くと、お公家さんの名前のようだなあと思ったくらいでした。
すると横で聞いていたS氏は、「そんなバカな!清麿なんかあるわけないじゃないですか!」と大きな声をあげました。
私は、以前S氏が刀に対して造詣が深いということをご自身で言っておられたのを思い出しました。
K氏「いや、本当に持っているんですよ。」
S氏は「本当に持っているのなら、今ここで見せてください!」と語気を強めました。
「わかりました。」
ムキになられたK氏は、車に戻っていきました。そして、程なく細長い風呂敷包みを持ってこられました。
風呂敷の中からは、一振りの刀が出てきました。
受け取ったS氏は、うやうやしく刀に頭を下げ、鞘を払って刀身を、続けて刀工名の彫ってある茎(なかご:柄の中の部分)を見ました。
S氏の目の色が変わりました。
「き、清麿だ!」
刀を持っているS氏の手が震えています。
私「そんなにすごい刀なのですか?」
S氏「はい。長いこと刀を見てきましたが、清麿を見たのは初めてです。素晴らしい刀ですね。」
このあと、私達の間でいろいろ問答があり、それほど素晴らしい刀ならばと、私は思い切って、その「清麿」を買うことにしました。
刀に詳しい人が震えるほどの刀です。とても欲しくなったのです。
K氏からいわれた値段も、無理をすれば若者でも手が届く金額でした。刀剣の価格、まして清麿の値段の相場など知る由もありません。したがって、何の疑いもなく代金を支払い、その「清麿」を受け取りました。
その後、私は初めて刀剣についての本を買い、刀の勉強を始めました。どの本にも「清麿」は通常の価格として数千万円の値が付いていました。
いや驚きました。
私が買った値段は、はるかその何十分の一でした。
K氏が私に特別に破格の値段で売ってくれたのだと喜びました。
私は、何の疑問もなくこの「清麿」は本物だと信じていました。
更にまた時が経ちました。
刀のことを学び、少し知識を得た私は、自分の所有する「清麿」に疑問が芽生え始めました。調べれば調べるほど刀の特徴や出来具合など違いがありすぎることが分かってきました。「清麿」の銘振りも疑わしいことに気付きました。
すごく悩みました。
自分にとっては大金であり、勇気を出して買った刀が偽物ではないかと。
ある日、意を決して、この「清麿」を東京に持って行き、権威ある団体に鑑定をお願いしました。
結果は真っ赤な偽物でした。
当然です。
刀剣ファン垂涎の名刀中の名刀が、何の縁があって、それも破格の値段で、なんで私なんかのもとに来るものですか。
自分の未熟さ、単純さ、情けなさ、軽薄さに愛想尽かした事件でした。
あとで思えば、購入のいきさつからして怪しい出来事でした。S氏とK氏がたまたま会社でかち合ったのか、申し合わせたものなのか。今となっては分かりません。
……
今回は、とてもお恥ずかしい話になってしまいました。
しかし、私はこのことに対して、今はまったく悔しさや後悔はありません。
本当です。
むしろ良い思い出にさえなっております。
何故ならば、その後の人生において活かせる学びを得たことに満足しているからです。
それはすなわち、
「良いものは値段が高い」
「とても良いものはとても値段が高い」ということです。
笑われそうですが、けだし真実であり真理なのです。
そして、事業、家庭、人付き合い、買い物等あらゆる物事に対して、
果ては人生において、
「俺だけは失敗しない」
という思い込みは危ない考えだということです。
押忍
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