2021年11月18日
昭和51年(1976年)10月のことです。
既に全国にその名をとどろかせておられた先代館長のところに、山内文孝前支部長(以下、支部長とします)は見学に行かれました。
場所は、かの八幡浜道場です。
福岡大学4年生であられた支部長は、「あの有名な芦原英幸先生を見に行こう」とはるばる愛媛県八幡浜市まで行かれたのです。
稽古時間も終わり方に差し掛かりました。
道場の隅で見学されていた支部長に、先代館長は目を留められました。
そして、近寄って話しかけられたのです。
このあたりのくだりは、先代館長の著書「流浪空手」(1981年11月10日初版発行 スポーツライフ社)に詳しく載っています。
「君は何かやっているね?」
先代館長は鋭い方なのです。
すると、支部長は、
「はい!空手をやっています!」(あー、言わなければ良いのに)
先代館長は、
「そうかー、ではちょっとやってみないかい?」(笑顔で)
ということで、組手が始まりました。
結果は、当たり前ですが皆様のご想像の通りであります。
後々、私に話してくださったのには、
支部長「目の周りがパンダになったよ」「全く歯が立たなかったよ」
ご自宅へ戻られた支部長は、悩まれました。
大学の4年生、まさしく人生の岐路でした。
就職という道もあったことでしょう。
しかし、支部長ご自身は常日頃、ご自分の人生に対して「自由であること」「自由な生き方」というものを非常に意識されておられました。
「普通の人生は送りたくない」と。
そのような時に、先代館長との出会いがあったのです。
支部長は、その年の12月、意を決して、再び四国に向かわれ、先代館長の門を叩かれたのです。
翌年3月大学を卒業されましたが、そのまま八幡浜で修行の道を選ばれたのです。
先代館長の下で、メキメキと頭角を現した支部長は、その後、全日本大会の代表選手の一人に選ばれるなどして活躍されました。
しかし、修行時代には辛いことも多かったそうです。
エピソードをひとつ。
いつも、早朝や稽古前にランニングを日課とされていた支部長は、八幡浜道場から八幡浜港フェリー乗り場まで、よく走られていたそうです(片道3キロほど)。
そして、フェリーの桟橋にさしかかると、
「あぁ、このままあの船に乗れば、九州へ帰れるんだなあ」といつも思っておられたそうです。
山内青年、郷愁の一幕ですね。
先代館長も常にランニングを欠かすことのない方でした。
なので、支部長は走っている途中で、同じくランニング中の先代館長に、度々道端で会われていたそうです。
「山内はいつも走っているからなあ」
支部長の影の努力を認めておられたこのお言葉は、とても励みになったそうです。
押忍
……
以上のお話は、拙文2015年09月07日分の再掲です。
芦原会館の熊本県における支部活動は、おおもとは山内支部長の八幡浜での修行が始まりといえます。
支部長が先代館長の下で懸命に修行した証が、今、熊本の地に残されております。
支部長の蒔いた種は、現在において熊本で5ヶ所以上の支部として、
そして、そこに集う多くの道場生の中で、実を結んでおります。
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