支部長雑感

百尺竿頭進一歩

2016年11月07日

昇段して初めて戴く段位は、初段です。
よく言われることですが、何故、「一段」ではなく「初段」なのでしょうか。
やはり、初めての段位ですので、「その道に入った」「道の始まり」という意味が込められているのではないでしょうか。

熊本支部を預からせていただいて、年数が経ちました。
その間、初段を戴いた道場生は十数名になりました。
しかし、黒帯を取得してからも継続して道場に通い続ける人は、それほど多くありません。すこし残念に思います。

段位を取得するというのは、一つの区切りであり、そこで満足するのも尤もであります。そこから気持ちを新たに、更に努力を続けてより高いところを目指すというのはなかなか難しいものです。

一般的に、価値あるもの、大事にしたい価値の数はそうそうにあるわけがなく、ましてやそれが長年にわたり続くというのは稀ではあります。そういう点では、初段取得後に心の変化が現れるのは至極当然とも言えるでしょう。

私に関してですが、1989年3月に初段を戴きました。
その時の自身の感情をはっきり覚えております。
「これで人生の悩みから開放された!」
「芦原会館の黒帯だ。胸張って世の中を渡っていける!」
初段を戴いたばかりの初学者がこれです。本当にこのように思ったのです。当然、その後も続く長い修行の中で、人生の悩みが簡単になくなる訳もありません。

人が、ある一つの時点で、一つの区切りで、ある程度の満足を得られたと感じたとします。
すると、
「もう俺は大丈夫だ」
「十分満足だ」
となります。
しかし、それはあっという間に過去の感情になってしまいます。
おそらく多くの方が、そのような経験や感情を持たれたことがあると思います。

山内文孝前支部長が、稽古の際によくおっしゃっておられました。
「精神の限界と身体の限界は違うんだ。体の限界より心の限界の方が早くきてしまうぞ。だから、そこを意識して稽古を続けるんだ。気弱になって稽古を放り出すな!」
先代館長のご指導の下(もと)、厳しい稽古に耐えてこられた証のお言葉ですね。

「百尺竿頭進一歩」(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)
禅語であります。
努力を続け、行き着くところまで到達した。しかし、そこで満足せず更なる高みを目指せ。
もう進むことが出来ません、というところから更に一歩を進めろ。
このようなニュアンスでしょうか。

大好きな言葉ですが「じゃあ、お前にできるか?」と言われれば、自信はありません。
しかし、だからこそこのような言葉に惹かれるのです。
そして、この言葉の意味するような人生を送れたらと切に願っております。

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