2016年11月28日
ある程度、武道を続けると徐々に自分自身の精神状態がわかってきて、そして変わっていきます。
また、稽古の年数を重ねるうちに、例えば組手でサバキを行っている時に、「あぁ、今の態勢は危なかったな」とか「この状態で攻撃されたらまずいな」など自分の動きが感覚的にわかるようになります。
そのような経験から私は、日常生活を送る際にも、肉体的に精神的に、どのような時に自分が危ないのかをいつも考えるようになりました。
例を挙げると、①就寝前に、何度も家の戸締まりを確認する ②向こう側が見えないドアを開けるときに用心して開ける ③夜に暗い道を歩いている時、物陰からいきなり襲われたら、若しくは後ろから自転車に乗った奴から凶器で殴られようとしたらどうするか ④家族を連れて歩いている時、自分の立ち位置をいつも意識する、などでしょうか。
こんなことを心配していると、それを家族に話すと笑われます。友人などに話しても嘲笑されます。
なんでそんなことを心配するのかという目で見られます。
しかし、古来より名人達人と言われてきた方々は例外なく用心深い生活を送られてきました。それは、人間というものが、どんなに鍛えようが完璧な防御が不可能で、常に危険をはらんでいるということを、修行を通じて体感され理解されておられたからだと思います。
なので、私は、ある人が例えば仕事のことで、または人生のことで、慎重な発言や用心深い心掛けをされ、さらに臆病な態度を示されるのを見ても「そりゃ当然ですよ」と思えるようになりました。
臆病な人を笑う人に「あなたはその方を笑えるほど強いのですか。ご自分の人生がこれからも平坦であり続ける自信がおありなのですか」と問いたいものです。
逆に、ご自分の人間的実力を正確に理解している人は、自身の今一番の弱点も十分わかっており、そのウィークポイントを減らしていく作業を心がけていると思います。それはチャレンジです。
したがって、臆病だから何も出来ない、臆病だから勇気がない、臆病だから挑戦できない……このような常識は成り立たないと思っております。
臆病な人を笑ってはいけないと思います。
押忍
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