支部長雑感

おめでたい話

2017年12月27日

年末にあたり、おめでたい話をひとつ。

ある人が美濃清泰寺の仙厓義梵(せんがいぎぼん)和尚に「何かめでたい言葉を書いてください」と頼んだ。ほいきたと、和尚は筆をとり、「祖死父死子死孫死」と書いた。頼んだ男は驚いた。「いくらなんでも、これはひどい。こんな縁起の悪いものは家に掛けられない」と文句をいうと、仙厓はほほ笑んで次のように語った。「何が縁起の悪いものか。まず爺さんが死ぬ。次に親父が死ぬ。次に子が死んで、最後に孫が死ぬ。順序正しく死んでいけば、家中に若死にするものはない。こんなめでたいことはない」(「禅の本」1994年5月10日第7刷 26頁 学習研究社)

なんか面白いですね。

この仙厓禅師(1750年~1837年 江戸時代)はいろいろ面白い逸話が多い方でありますが、違う意味で有名なものに、禅師が残された遺偈があります。
「遺偈」(ゆいげ)というのは、禅僧が末期に臨んで、門弟や後世に言葉を残すものです。普通、長い修行人生で体得された高い境地などを話されるものです。
この仙厓禅師は、いよいよ臨終の間際、弟子たちが「禅師、何かお言葉を」と問いかけると、こうおっしゃったそうです。

「死にとうない」

私は、この言葉を非常に興味深く思います。
尽きることのない修行の道や社会に役立つ活動を続けていく者は、身体が弱り余命幾ばくもなくても、まだまだ現世に残り、ご自身の気持ちを行動に表したいものではないでしょうか。
聖路加病院の日野原重明先生はご生前、常に「死ぬのが怖い」とおっしゃっておられました。

仙厓禅師と日野原先生の、世に対するお気持ち、死に臨むお気持ちには合い通じるものがあると思います。

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